サハラマラソン245キロへ挑戦(2008年3月28から4月7日完走!)
サハラ砂漠を7日間で245キロを走り、しかも7日分の食料と背袋はすべて背負いそれで生活をおこなうサバイバルレースである世界一過酷なサハラマラソンの挑戦記です。その後2009年チリ・アタカマ砂漠マラソン(7日間250キロ)、2010年中国・ゴビ砂漠マラソン(7日間250キロ)を完走し、2010年11月の南極マラソン250キロを完走しました!

サハラマラソンへご支援いただき、誠にありがとうございました!
文房具、Tシャツも多数頂き、サハラの村の子どもたちに渡すことができました☆

2009年世界で最も乾燥したチリ・アタカマ砂漠マラソン250キロ完走。
2010年に中国・ゴビ砂漠マラソン250キロ完走。
2010年に極寒の南極マラソン250キロを完走しました。
この経験からどんなに長い距離でも走れるテクニックを
教本「驚異のマラソン上達法」(ここをクリック)にまとめました。


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感動のフィニッシュ!
4月5日(ステージ6:17.5km)
 今日もまた寒さで目が覚めた。
 どこのビバークでも砂漠の夜は寒いんだな。

しかし、この寒さもこれが本当に最後だ。
さて最後の一仕事。
サバイバルシートを取り出す作業だ。

顔半分までもぐりこんだシュラフのチャックを開けると、冷気がスッと流れてこんできた。

はやく作業をすませなきゃ!

腕を出して、上半身を起こし、足の下に置いたバックパックに手を突っ込む。
もぞもぞしているうちに、腕や上半身がどんどん冷えてきた。
肩口がひんやりしてきた。
ようやくサバイバルシートに手が触れた。

よし!

シュラフの中にシートを押し込み、中で広げて身体に巻きつけた。
アルミ製のシートはがさがさ音を立てるので、寝ている人を起こさないかと心配になった。

これからあたたまるぞ!

と思っていたら、いつの間にか眠りに落ちた。

気が着くと、朝がやってくる時間になっていた。
はるか先の山並が朝の柔らかな陽射しを浴びて、オレンジ色に輝いていた。

この朝陽を見るのもこれが最後だな。

輝きを帯びた朝陽と夕陽は、たとえ埃っぽい大地だろうと、美しく彩り、名画のように見せてくれた。
過酷なレースを続けていて今日が最後。
ホッとすると思いきや、さびしくなった。

今朝はいつも雰囲気が違う。
のんびりした空気が流れている。

そうか!テントの撤収がないんだ!

いつもは朝早くからベルベル人がテントを片付けに来るので、朝がせわしないのだ。
朝早く片付けるのはテントを次のビバーグに運ぶためだった。
しかし次のビバーグはないのだ。
ビバーグはここまでなのだ。

また今日が最終ステージということで、朝からお祭り騒ぎ。
距離が短いこともあり、余裕なムードだ。
最後の朝を最高の思い出にするために、どのテントでも笑いが耐えなかった。

そんなとき、山崎さんがとなりのテントの外国人選手とメールアドレスの交換をしていた。
いろんなシーンで外国人の選手と仲良くなっていたんだろうな。
彼はたくさんの友達を作っていたからな。

旅先でのメールアドレスの交換に似ていた。
これって、別れ際にやるんだよな。
今日が終わったら、二度と会えなくなるかもしれないんだな。
オレにも出会った人がたくさんいたな。

そう思っていると、前日一緒にゴールしたフランス人のマークがテントにやってきた。
サングラスをとっていたのではじめはわからなかったが、声を聞いてすぐにわかった。

おお!きてくれたのか~!

頬を寄せ合って挨拶。
頬で感じる無精ひげのちくちく感。
この頬の感覚こそ、昨日のゴールで感じたものだ。
本当にうれしかった。

そしてお互いにメールアドレスの交換をした。
今日のレースをお互いに健闘を誓い合った。

ここであることが脳裏をよぎった。
オーバーナイトで一緒にゴールしたマークと今会わなければ、二度と会えないかもしれない。

彼からテントの番号は教えてもらっていた。
ゴールすると、その順番でバスに乗せられてワルザザードのホテルへ直行だ。
そして閉会式となる。
普段着になったら、お互いのことがわからなくなるかもしれない。
彼のメールアドレスを聞くとしたら今しかない。

レースの準備もそっちのけで、彼のテントを探しに行った。
テントは全部で120個だ。
テントの前に番号札がついているので、それを追っていけばいい。
マークはテントにいるだろうか。
俺のこと、覚えていてくれるだろうか。

ついに彼の番号のテントが見つかった。
テントの中を覗いてみると、彼はレースの準備をしていた。

声をかけてみた。
そうすると、彼はとても嬉しそうに笑顔で迎えてくれた。

一日ぶりにがっちり握手。
お互いに足の具合を話した。
彼もまた足に包帯だ。

冗談を言い合ったあと、メールアドレスの交換をした。
そしてまた握手をして、お互いに最後のステージの健闘を誓い合った。

会いにいって、本当によかった。
今日は泣いても笑ってもレース最終日。
とてもあったかい気持ちでスタートを迎えられる。

あとやっておきたいことがある。
最後に日本人10人全員で写真がとりたい!

初日にみんなで撮った集合写真からどう変わったのか。
その姿を比べてみたい!
テントの前に出て、記念撮影だ。
みんなそれぞれがいろんな想いで最終ステージを迎えたのだ。
スタートラインに立つまでに、これまでのことをそれぞれが思い出すのだろう。

ALLJAPAN

そして、スタートからいつもの音楽が流れてきた。
AC/DCのYou shock me all night longだ。
この曲を聴くのもこれが最後。

毎朝スタートでおこなわれるセレモニーも今日が最後だと思うと一抹の寂しさを感じた。
マラソンは一人でもできるスポーツではあるけど、決して孤独なスポーツではない。
この日本人の仲間がひとり欠けたら、また違ったレースになっただろう。
このメンバーのおかげでここまでこれたのだ。
ここで出会った外国人選手やドクター、スタッフ、ベルベル人にも感謝だ。。
また、日本で応援メッセージをくれた仲間。
陰で支えてくれるたくさんの仲間。
俺の新聞記事を見て、応援してくれる見ず知らずの人たち。
すべての人たちにも感謝。
そして、宇宙と大地にも感謝だ。

今日は17.5キロの最終ステージ。
スタートはテント村の真ん中を抜けていく。
CPはひとつだけだ。
CPを越えたら町に入る
そして念願のゴール。
7日間のゴール。
世界で最も過酷なサハラマラソンのフィニッシュラインがそこにあるのだ。

map6


今日はもちろんゴールに行くことが目的だが、お土産の砂の収集も必要な目的だ。
ゴール地点ではすぐにバスに乗せられてしまい、砂を集める時間がないとのことだったからだ。
初日の大砂丘の砂が欲しかったが、あそこから重量を増やすわけにはいかなかった。
できる限りさらさらした砂で、しかもCP1までに集めることがタスクだった。

スタート地点に行く途中、寛平さんのカメラクルーから激励を受けた。
彼らの笑顔がなかったら、もっと寂しいレースになったに違いない。
レース途中で、彼らと笑顔をかわすことがどれだけ励みになっただろうか。
本当に感謝だ。

ついにカウントダウン開始!

「トゥワロ ドゥ アン スタート!」

最終ステージのスタートだ!

選手それぞれがいい顔をしている。

これでゴールだという安堵感もあるし、これで最後という寂しさも表情に出ていて、
感慨深い選手全員だ。

オレはまわりをきょろきょろ見渡しながら、砂集めポイントを探して走っていた。

「ここはまだ集めるには早すぎだな。」
「これはちょっと砂が荒いな。」
「ここの砂は量が少ないので、集めにくいな。」

などなど、走るというよりお気楽な散歩気分。
そんな風にして走っていても、なかなかいいポイントが見つからない。

「待て待て、もうじきCP1が出てくるころだな。
 その前に、拾っておきたいな。
 ゴールの町に入ってしまったら、砂などないだろうしな」

そうしていると、同じように砂集めを考えている選手が
足をとめて砂を集めてペットボトルに入れていた。

「どこの国の人も同じなんだなあ」

彼らに笑顔であいさつをし、オレもそこに参加して、一緒に拾った。

「この一体感がまたたまらないね」

そして9キロ地点のCP1がついに見えてきた。

これが最後のCPだ。
いつもと同じように地平線のかなたにポツリと突然現れた。

今までどれだけCPに救われたことだろうか。
どれだけCPを切望しただろうか。
どれだけCPを待ち望んでいただろうか。

CPを過ぎると、またまっすぐに進む。
地平線に向かって走るのがサハラマラソンなんだな。
いまとなってはこのパターンが嫌ではなかった。
地面も砂地で石が少ないので、足裏に緊張が走ることもなく、
心地よいリズムで先に進んだ。

前を行く選手。
見覚えがあるなあ。
山崎さんに紹介してもらってスタートのときに話をした陽気なアメリカ人の選手だ。
横に並んであいさつをしてみた。
「OK ?」
彼はニコッと笑って、親指を立てた。
覚えていてくれた。
ごそごそと携帯カメラを取り出し、写真をとってみた。
持っているストックを横に広げて、最高の笑顔だ!
お互いに写真をとりあった。

電線が出てきた。
赤茶色の土でできた家がポツリポツリ出てきた。
子どもたちがたくさん俺たちの走る道の両脇に立っている。
フレンドリーな子どもたちだ。
学校帰りなのか、友達どおしで見に来ているようだ。

ついに遠くに街が見えてきた。
ひとりの青年が声をかけてきた。
白いシャツを着ていた。
学生か。
どうやら学校帰りのようだ。
彼は高校生で、教科書を持っていた。
外国人と英語を使いたかったらしく、自己紹介をしたりして、彼の練習台になった。

そうしていると、緑が増えてきた。
ヤシの木が多いな。
草もたくさん生えている。
緑色の割合が多くなってきた。
人間が住んでいるが感じられた。
ついに街が見えてきた。
あれがゴールの街だ。
サハラマラソンの7日間の最後のゴール町、タザリンの町だ。

日の丸とエイサーの旗を取り出して、行きかう人たちに振ることにしよう。
日の丸と見て、日本と気づくこどもたちもいた。

いよいよゴールの町に入った。
大きな町なのか?

住宅地域の間を走る。
赤茶色の土でできた家の陰でたくさんの人が休みながら、おれたちを見ている。
めずらしいよな。
砂漠を走るなんて、クレイジーだと思っているよな。
「アッサラームアレイクン」
そう挨拶すると、
「サラーム」
と笑顔とともにたくさんの返事がきた。

陰を走るとひんやり感じられて、気持ちがよかった。
地元の人もたくさん定住しているようだ。
農業で生活している人もいるようだ。
窓越しから見ている者。
家の2階からも見ている者。
丘の上から見ている者。
日の丸とエイサーの旗を取り出し、それらを振りながら沿道の人々にあいさつをしながらひた走る。
日の丸の寄せ書きのひとつひとつに目をやるたびに、それぞれの笑顔が思い出され、目頭が熱くなった。

アスファルトの道に出た。
この先にゴールがあるに違いない。
もう砂漠の上を走る必要はないのだ。
トレラン用シューズで走るアスファルトは足にとって負担がかかるが、もうすぐゴールということで、喜びが先立ち、笑顔が消えることはないのだ。

観光客を乗せた車ともすれ違った。
砂漠ツアーへの玄関なんだな。

市場の付近を通過していると、すでに完走した選手がオープンテラスの椅子に腰掛、おいしそうにビールを飲んだり、肉串を食べていた。

そしていよいよフィニッシュラインが見えた。
このゴールをどれだけ待ち望んでいたことか。
レースの最後だ。
あのゴールをくぐるためにここまで走ってきたのだ。
これまでのことが思い出された。
感慨深かった。
沿道には、すでにゴールしたたくさんの完走した選手たちがビールを飲んだり、食事をしたり、共同体の仲間に向かって笑顔で声援を送ってくれた。
それに答えるように手をあげると、仲間はさらに祝福してくれた。
お前らもおめでとう!
そんな気持ちでさらに答えた。

そして遂にフィニッシュライン。
顔が笑顔でくしゃくしゃになっていた。

579位 55時間12分13秒。平均時速4.44km。トップから35時間44分27秒後れ。

完走メダルが首にかけられた。
首の後ろにその重みをずっしりと感じた。
これが7日間で得たものだ。
これをもらうために来たのか?
必ずしもそうではないが、これは形に残るものだ。
サハラマラソンをやり遂げたのだ。
ものすごくうれしかった。

大会カメラが近づいてきて、カメラに向かって日本語でしゃべるように言ってきた。
インタビューに答えながらしゃべっているとき、オーバーナイトで出会ったドイツ人がゴールした。
お互いに気がつき、インタビューの途中だったが、声を出しながらお互いにバグし喜びあった。

喜びを共有できることって、最高にうれしい。
これがマラソンなんだ。
涙を流したいと思っていたが、喜びのほうが何倍も強くて、笑いがおさまらない。
 
松永さんとみさこさんが笑顔で祝福してくれたので、バグしてそれに答えた。
三宅さん、山崎さんもいて喜びあった。
間さんは空腹を満たすかのように、たくさんビールを飲んだようでほろ酔いながら、途中で応援メッセージをもらった仲間へのお礼をどうしようかとうれしい悩みを語っていた。

 主催者が用意したバスに乗り込んだ。
 手にはゴールでもらった昼食の袋がある。
ワルザザードまでどのくらいかかるのか。
そんな時間は気にならなかった。
あれだけあざやかな青色だった空が黒い雲に覆われてきた。
陽射しも塞がれた。
雨だ。
砂漠に雨が降っているんだ。
この地は無味乾燥地帯ではないんだ。
たくさんの人を虜にする場所。
たくさんの想いが詰まっている場所。
またこの地に戻ってくるだろうか。
クラシックコンサートに間に合わない!
CP2にはヤシの木が群生している。

ヤシの木があると、海岸にいるようで、なぜかほっとした。
休憩するためにテントに行くと、寛平さんが先に休んでいた。
彼は、途中で言い寄ってくる子どもに自分のスポーツドリンクを少しあげようとして渡したところ、たくさんの子どもたちが集まってきて、全部飲み干されてしまったと、楽しそうに語った。
このあたりの井戸の水もけっして透明ではないらしい。
また彼は
「腹減った~。腹減った~」
とひとりつぶやいていた。
本心から出た言葉だ。
本当におなかがすいているようだった。
オレの手持ちの行動食を少しわけようとした。
しかし、持っている行動食がソイジョイと黒糖が入り混じり汚らしいので、申し訳ないと思い、言い出せなかった。
また乾燥梅干もおなかの足しにならないと勝手に判断し、わけることができなかった。
自分の明日の行動食をあげようかと葛藤したが、行動できなかった。

サハラマラソンのルールでは、自分の食事を他の選手に渡すことは禁じられているのだが、オーバーナイトステージでは外国人選手から一口くらいのナッツなどをもらっていたので、わけてあげればよかったと思いながら、彼の背中を見送った。
彼は腹ペコの身体で走り続けたのだった。

次はCP3を目指す。

map5b


ふかふかな砂地が多くて、足の痛みはない。
サハラ砂漠の砂がとてもやさしく迎え入れてくれたようだ。

ここで見る景色は二度と見ることができない景色。
出来る限り心のシャッターを押しておこう。
そう思うと不思議と身体が軽くなったように走ることができた。

前方に、子どもにたかられている選手を見つけた。
かなりしつこく、ボトルを狙っているように見えた。
その選手は疲れている力をふりしぼって追い払おうとがんばっていた。
100mくらいしつこく着いて来ていた。
「あの子どもがこっちに来ると、いやだな~」
そう思っていたら、その子どもはあきらめて俺のほうに近づいてきた。
はじめは
「お金、お金、お金」
と手をおれの顔の前に差し出してきた。目が必死だ。
「お金はない」
といったら次は
「ボトル、ボトル、ボトル」
と同じ口調でしつこく言ってきた。これまた目が必死だ。
そしてウエストにあるボトルに手が近づいてきて、ひったくろうとしたので、手を払って制した。
それでもこの子はしつこい。
そんなに生活に困っているのだろうか?
それとも親にやらされているのだろうか?

こっちも大事な水をとられてはひとたまりもない。
元気なら走って振り切れるのだが、ジョグペースなので振り切れるスピードではない。
後ろから追い抜いていった女性選手がいたので、その選手に指差したら、子どもは向こうにいる女性選手に近づいた。
女性選手は、その子どもの餌食になってしまった。
営業マンだったら、すごいかもな。
と他人事みたいに見ていたら、女性選手のバックパックに取り付けてある水のボトルをとろうとして、子どもは何度もジャンプしていた。
彼女はその子どもの行為を制するのに実に大変そうだった。
本当に申し訳なく思った。

砂地を走っていくと、またヤシの木群が現れた。
ここの間を走れば日陰になる。
そうして、ヤシの木の間を走り抜けると、石で出来た井戸が現れた。
人が使っている井戸だ。
水はにごっていた。

砂地を走ると前方にヤシの木の林が見えてきた。
その横のほうには車が10台以上、とまっている。
ヘリコプターも駐機している。
ということは、CP3がもうすぐだ。

ヤシの木の林に入って、CP3に到着だ。
31キロ地点だ。
今日のCPはこれが最後。あとはゴールのみだ。
寛平さんのテレビクルーがのんびりしている。
きっともう彼が出発したに違いなかった。

ここのCPには選手以外の欧米人がたくさんいた。
観光客だ。
サハラ砂漠を見に来ているのだ。
みんな笑顔で手を振ったり、声をかけて応援してくれた。

CP3を過ぎると、またまた平地だ。
ゴールは、遠くに見える地平線の彼方にある。
このマラソンのパターンだ。
このステージのように距離が長い場合は、遅い選手は暗闇の中を走ることになる。
暗闇になっても、道に迷わないように配慮されているのだ。

この砂地は緊張を強いられるほど、ごつごつした石はない。
車が通った跡をトレースしていくだけだ。
車が石を蹴散らすので、車の跡には石がなくて、走りやすいのだ。

前を行く選手の姿はかなり遠くに見える。
後ろを振り返ると、遠くに見える。

走っていると、自分のすぐ後ろに足音が聞こえはじめた。
足音が聞こえるたびに、後ろを振り向く。
しかし、誰もいない。
また走り出すと、また足音が聞こえる。
幽霊か?
幻覚か?
思考回路が鈍っているのは確かだ。

音の方向を見た。
バックパックにさしている旗だ。
風ではためく音が足音に聞こえるのかもしれない。
しかし、足音が実にリアルなのだ。
旗に寄せ書きしてくれたたくさんの仲間が一緒に走っているのだ。
そう思うと、とてもうれしくなった。
足取りが軽くなった。

ペースよく走っていると、前の選手に追いついた。
CP1のあとの平地で抜いたり抜かれたりで顔見知りになったフランス人だ。
ひとまわりくらい上の年齢か。

ゴール近くまでくると、誰と一緒にゴールしようかと、みんな考えるのかもしれない。
またここまで来ると集中力が切れてくるので、ひとりで黙々と走るより、他の選手と一緒に楽しみながら走りたくなるのだ。
お互いにへたくそな英語で話をした。
意味がわからなくても、一緒に笑いあった。
そして一緒にゴールまで行こうとお互いに決めた。

ここまでくると、もう走っても歩いてもどっちでもよくなる。
今を楽しもう。
ただそれだけだ。

彼は、先に行ってもいいよ。と気を使ってくれた。
しかし、俺自身も先に行く気はさらさらない。

そうしていると、ついにゴールが見えてきた。
ゴールが見えると、いままでの疲れの半減するから不思議だ。
最後は走ろうと、フランス人は声をかけた。
オレは「ウィ」と返事をした。
笑顔で互いの意思を確認できた。
心が通じ合った。
ラストスパートに自然と足取りも速くなった。

俺はバックパックに挿している日の丸を取り、握り締めた。
高々に振り上げた。
寄せ書きしてもらったみんなと一緒にゴールしたい。
そう思った。

ゴールでフランス人の彼と頬を寄せ合い、喜びあった。
彼と一緒にゴールできて本当によかった。
フランス人の友達がひとり増えた。

テントに戻ると、先に戻ったみんなのほかに、リタイヤしたのりちゃんもいた。
仲間の顔に会えると、本当にほっとするんだな。

シューズを脱ぐと、急に足の痛みがぶり返してきた。
勝手なもので、足を見ると痛みを思い出すらしい。
包帯をとると、今日もがんばった足がそこにあった。

たくさん汗をかいた足
まめがつぶれて液体が出ている足
爪がはがれた足

いつもの日課で、そのままクリニックに行った。
クリニックに行くのもこれが最後だな。
毎回、足の治療をしてくれてありがたいな。
今日は若くて美人のドクターがいいな。

なんて思っていた。
クリニックの前で足を消毒していると、昨日お世話になったドクターが出てきて、おれに気が着いた。
握手をしあうと、彼は俺を中に呼び寄せた。
順番を指示しているスタッフが彼に、ちょっと待ってくれよ、といわんばかりに話をしていた。
それもそうだ。
おれの前に、治療待ちの選手がいるのだから。
しかし、彼は力があるのか、これがフランス式なのか、先に中に入れた。
おれとしても、昨日の具合も見てもらっているし、都合がよいと思った。
ただ、カルテなどないのでみんなの足の具合を覚えているとは限らないのだが。

今日の治療は足裏のまめの皮を取り去った。
その下に皮が出来てきていたので、そうしたのだ。
また足の親指付け根のところが水ぶくれになっていたので、メスで切って、水分を出し切った。これが痛かった。
さらに痛いのは続いた。
爪に熱線で穴をあけ、メスで穴を広げて、なかにできたマメを潰す治療だ。
これって、手術じゃないのか?
熱線が爪に穴を開けたあと、勢いよく下にある皮膚に触れた。
思わず、声をあげてもだえてしまった。
カメラクルーも俺の足裏をとってくれた。
皮をはいで、赤い治療液をぬり、包帯を巻いて治療は終了。
また痛み止めをもらった。
このドクターと会うのも最後か。
初日にお世話になった女性のドクターもいたので声をかけると、喜んでくれた。
若い美人のドクターには会えなかった。

星降る砂漠の夜の演奏会は最高だった。オペラ歌手とオーケストラ。明日が最後のステージ。遂にここまで来たか。クラッシック音楽がとても心地よかった。
オーケストラコンサート
大会6日目のフルマラソンステージの夜は、満天の星空のもと、静寂に包まれた砂漠のど真中で、オペラ歌手とオーケストラによるクラシックコンサートがおこなわれた。丸く囲んだテント中央に特設ステージと椅子が用意された。その演奏やオペラの歌声はビバーク全体に響き渡った。椅子に座りながら聴いたその演奏は、疲れた身体に心地よく響き渡り、日中の過酷さを忘れるほど癒された。そして最終ステージを明日に控え、ここまで来ることができたことに感謝せずにはいられなかった。

コンサートも終わり、何人かがシュラフに入りだした。
しかし、くみちゃんがまだだった。

関さん、山崎さん、林さん、澤村さんの若い組で、ゴールに見にいくことにした。
あたりはすでに暗闇。
今日もヘッドライトの明かりを頼りに走っているに違いなかった。
ゴールに行くと、外国人選手5人がゴールでコースのほうを眺めていた。
自分たちの仲間を待っているのか?
選手がゴールに近づいて来るごとに、声をはりあげ応援していた。

こういう奴らって、本当にあったかいよな。
また楽しみかたを知っているんだな。

みんながみんなではないが、ここの選手たちは相手が喜ぶようなことを自然にやっている。
これがフランス人なのか。
これがヨーロッパ文化なのか。

遠くに明かりが見えてきた。
2人の選手が近づいてきた。
くみちゃんなのか?

さらに近づいてくると、1人はくみちゃんであることが確認できた。
応援している外国人と一緒になって、声をはりあげた。

ゴールに向かってがんばっている姿は本当にすばらしい。

くみちゃんと外国人選手がゴールすると、応援していた外国人たちもテントに戻っていった。
仲間を待っていたのではなく、選手の応援のためにゴールに来ていたのだ。
すでにシュラフに入ってもよい時間なのに。

こいつら、最高にいい奴らだ。

テントに戻ると、昼間にもらったメールがくみちゃんに渡された。
いつも自分宛のメールを紙に出してもらえるのだ。
くみちゃんが受け取った1通は、俺も含めて日本人全員に来た同じアドレスの人からだった。
いたずらメールだと思ってほっておいていたが、昨年のサハラ出場選手からだった。
ひとりひとり違う文面で書かれていた。

大会HPで自分のことを見てくれている人がいると思うと、感謝せずにはいられなかった。

フルマラソンステージ
4月4日(サハラマラソン:ステージ4:42.195キロ)


日の出前の5時30分ごろ起きだして朝ごはんの準備。
あったかいご飯を食べるぞ。

一日休んでのぞむサハラマラソン唯一のフルマラソンステージ。

オーバーナイトステージを乗り越えた安心感。
それよりもマークとの出会いにより、自信がついた。
仲間と一緒ならやり遂げることができるのだと。

のりちゃんは大会の車で移動なので、早く行ってしまった。
先にゴールで待っていることになるのだろう。

 考えてみればフルマラソンステージは長い。
この砂漠で42.195キロを走るのだ。
3日目の40.5キロのステージで夕方にゴールしたのだ。
しかし、オーバーナイトステージのあとでは、そんな距離はとても短く思われた。

map5a


ここまで来れば、明日は最終日。
レースの峠をこえたので、あとは下るだけだ。
ドクターに診てもらった足の具合もよいので、この調子で突き進むだけなのだ。

オーバーナイトで会ったドイツ人のユーゲンは、俺にとってすばらしいメンターだ。
好きなように時間をコントロールしてゴールすればいいのだ。
早くゴールすることが目的なのではないのだ。
テントで長く休みたくて走るのではないのだ。
この瞬間を。
今を最高に生きるために走るのだ。

選手はみんなオーバーナイトステージをやり遂げた達成感やゴールが見えてきた安堵感。そして休息明けで体力が回復し、自信がみなぎっていた。

スタートから見えるのは平坦な荒野。
あいかわらず、碧く澄んだ空に、赤茶色の大地。
生物など存在しないと思っていたこの砂漠がいとおしく思えるようになった。
あと2日で終わりだと思うと、急にさびしくなった。

カナダ人のマークやドイツ人のユーゲンとまた会えるかな。
いや会えるに違いない。

走っていると遠くの山が近づいてきた。
コースのリズムはだいたいわかってきた。
このあたりは、いくつもの山々に囲まれているのだ。
山を越えると平地を走り、そして山を越えてまた平地だ。
山登りはエキサイティングで達成感があって楽しい。
平地は地味に足を動かし続けなければならないが、どこに楽しみを見つけるかで退屈な時間になったり、楽しい時間になったりする。
人生もまたこういうものなのかもしれない。

あいかわらず陽が登ってくると風が強くなるな。
4.5キロ地点の山へ来た。
選手が列になって登っていく。
みんな自信に満ちた表情で登っている。
荷物が軽くなったからか。
きっとオーバーナイトをやり遂げた自信と、あと2日でゴールということで完走することが確信してきたからだろう。
みんなそれぞれの感情でこの景色を味わっているに違いない。
砂地であるが、緩やかな傾斜なので気持ちよいペースで登っていく。
調子よく登ることができた。
頂上でコースの様子を確かめた。
この先はまた平地で、遠くにまた山が見える。
いつものリズムで山と平野だ。


この調子で一気に降りるか。
スピードに乗って前を行く選手たちをどんどん抜いていった。
降りたところで、大腿部に疲労がたまっていることを感じてしまった。
やりすぎたか。
平地はゆっくりペースでいこう。

平地の景色はあいかわらず変わることがなく、気が遠くなりそうだった。
足の下の地球は勝手にまわっている。
足を上げるだけで、地面が勝手に動いてくれるのだ。
辛いときは、そう思うようにしている。

足を動かし続けるとCP1がやってきた。
この先はまた山登りだ。
水の補給がすみ先に進むことにした。

この山もまた砂地だ。
山というより丘に近い高さの峠ごえで、横に稜線が伸びていた。
岩がところどころに転がっていて、まるで河原のようだ。
もともと岩山なのだろう。

そしてまた平地だ。
次の山まで間隔がせまいぞ。
変化のある路面は楽しい。
この山の稜線も横に伸びていて、山の先にはなにがあるのかわからない。
この先にはなにがあるのか?と思うだけで、チャレンジ精神がわきあがってきて、飽きることがない。
そんなとき、見覚えのある後ろ姿が前方にいた。
ドイツ人のユーゲンだ。
昨日、俺の考えを変えてしまったメンターだ。
どうやらビデオを片手に持ちながら撮影をしながら走っているようだ。
彼は実は足が速くて強靭だ。
写真を撮ったりしなければ、もっと短時間でゴールしてしまうに違いない。
そうであれば、俺とは絶対に会うことができなかった。

彼もまた俺に気がつき、笑顔になった。
そして、
「写真を撮ってあげるから、カメラを出して」
と言って、おれの写真を撮ってくれた。
さらに
「ビデオを撮るのであそこまで走ってくれ」
と言って、先のほうを指差した。
彼は手に持っているビデオで、俺の走るシーンを後ろから撮影したのだった。
そしてまた、
「ビデオで俺の走るシーンを撮ってくれないか」
というので、後ろから走りながら撮影した。
山の登りがはじまっていて、少々辛かった。
それにしても、ユーゲンはいろんな楽しみ方を知っているだな~。
すばらしい生き方だな。ドイツ人特有なのかな。
しかし、ここでその楽しみをするには、トレーニングをして作った強靭な肉体が基本になっているのだ。
彼の下半身は筋肉で引き締まっていた。
こつこつと努力を積み重ねてきたんだな。

登りかけている山は思ったより高い。
近づいてみると、砂の壁があるようだった。
この山は砂地で、足を踏ん張ることができなかったが、オーバーナイトの最初に登った砂地に比べれば、軽いものだ。足をとられながらも気持ちよく登りきった。
峠越えだ。

峠には子どもたちが5人くらいいるのが見えた。
「俺たちのマラソンがめずらしいから見に来ているのかな。
それとも応援してくれているのか。
ありがたいな~」

そんな思いで近づいていくと、
「マネー!マネー!」
と言って、手を出してきた。
そういう思いでこの子どもたちは登ってきていたのね。
「さすがに持ってないんだよね。」
そんな気持ちで伝えたが、持っていてもあげないだろう。

ここの生活にとって、マネーを得ることはどれだけ大変なことなのか想像ができない。
こんな砂漠で、7日間も走る俺たちにどんな思いを持っているのだろうか。
戦争や貧困で苦しむ国に生まれていたら、なんと贅沢なスポーツだろう。
このレースに出られる俺は本当に恵まれた人間なのだと思う。

別れる前に、子どもたちに声をかけた。
「アッサラームアレイクン」
とそうすると、
マネーと言っていた子どもたちが
「サラーム」
と返事をしてくれた。
どんな物乞いをしている子どもでも、挨拶をしてコミュニケーションをとろうとすれば、笑顔になって、一緒に遊んでくれるのだ。
ひとり旅をすると、そんな出会いがまた楽しい思い出になるのだ。
「元気をありがとう!」
そう伝えてバイバイした。

そして急な下り坂をまた一気に降りた。
ますます太ももの筋肉が硬くなった。
早くも足は悲鳴をあげはじめた。
「この痛みを味わいつつ、対話していこう。
ありがとう、俺の太もも。」

次の平地はタマリスクがところどころに生えた砂地だ。
平地にもたくさんの現地の子どもたちがいた。
雰囲気が少しずつ変わってきた。

自分が後ろから
日本!とかこんにちは!
とか声をかけられたのは、日の丸を背負っているからだ。
だとしたら、自分も同じようにやってみよう!
みんな運命共同体の仲間だ。
声が帰ってこなくてもいいや。
声を出すだけでも楽しいからやってみよう!
そんな衝動に駆られた。

ポーカーフェイスで黙々と走っている人でも、笑顔で挨拶をすると笑顔が返ってくるのだ。
視線を落としてつらそうな人に声をかけ、親指を立ててニコってしてくれたときは最高だった!

そうしているうちに、「Magic」書いてある旗をバックパックに着けた選手がいた。
「マジック!」と大声で後ろから叫んでみた。
その選手は後ろにいた俺に振り返り、笑ってくれた。しばし彼と並走だ。
彼はスペイン人のカタゴーニャに住んでいて、名前をマルコと言った。
彼はインターポールで仕事をしてる警察官で情報を扱っていると言っていた。
インターポール??
「ルパン3世」で出てきた名前だ。
休みはよく取れるらしい。
旅行も好きで、30カ国は言っているらしく、5大陸すべてに行っている。
特に南米大陸が好きとのこと。
スペイン語は通じるし、スペインからは近いしな。
しかし日本にはまだだとのこと。
「そんなに旅をしているのに、まだ日本に来てないのですか!
 ぜひ日本に来てください!」
そんな風に言えるようになったのはいつからだろうか。

海外に出ると、相手にとって俺は日本代表であり、観光大使なのだといつも思う。
相手がはじめて話した日本人が俺だったとしたら、俺が日本の印象になるのだ。
サッカーを見たとき、日本製品に触れたとき、日本ということが意識したら俺のことを思い出すのだ。
このように思うようになってから、俺の中に「日本人」というアイデンティティーができあがった。

また結婚してて子どももいるそうだ。
どこの国の人も、子どもの話をするととても幸せそうな顔になる。

一緒に行こうと言ってくれたので3キロくらい並走した。
時間はちょうど正午。マルコの時計で気温は36度を示していた。
昨日、ビバーグで過ごした日中はものすごく熱かった。そんな日中を走るなんて、みんな強靭なクレイジーだ。
水分不足で脱水症状ぎみなのか、または暑さで熱中症ぎみなのか、少し頭痛を感じていた。
水分をとらねばなるまい。

マルコのペースのほうが早かったので、次第に離れていった。
別れは突然やってくるもので、それから再会することはなかった。
これも一期一会だ。

突然、臭いが鼻をついた。
風が後ろから来ていた。
しかし後ろには人はいない。
この臭いはおれから発せられたものだ。
昨日、たいていのものを水で洗濯してきれいになったはずなので、この臭いは体臭なのか。
そういえば筋肉痛を和らげるためにクリームをつけてふくらはぎや太ももをマッサージしたとき、垢ができたことを思い出した。
この体臭は欧米人の体臭に似ていた。
欧米人はシャワーを浴びるのは週に数回だと澤村さんから聞いたことを思い出した。
そういえば旅をしてドミトリーに泊まったときに思ったことがある。欧米人はいつシャワーを浴びるかということ。彼らの臭いのもとが納得できた。

この地域は村が近いのか、子どもたちがたくさん集まってくる。
めずらしそうに近づいてくる子
物欲しそうに近づいてくる子
強引に物を取ろうとする子
たいていの子は、ペットボトルの容器を欲しがっていた。
ここでは水を入れる容器が大事なようだ。

山の登り下りをがんばってやったためか、それともマルコとの一緒に走ったとき、少しペースを上げたためか、右太ももに筋肉痛を感じはじめた。
疲労感からかちくちくするような痛みだ。
しかし、毎日走っているのに、次の日まで筋肉痛を引きずらないのが不思議だ。
やはり砂地のせいだろうか。
CP2まではジョグを重ねて筋肉が硬くならないようにする。

昨日は歩くだけで足裏からズキズキと痛みを感じていたのに、今はまったく感じない。
回復力がすごいのか、痛み止めを2錠飲んだからか。
たぶん、薬が効いているのだろう。
しかし今日は足の右親指の先端を石にかなりヒットしているので、つめからの痛みを感じる。
ペースをあげるたびに石にヒットし、歯を食いしばっていた。
疲れからか、足があまりあがっていないのだろう。
足の運び方に注意が必要だ。

砂漠の砂には、黒や白、赤茶色などさまざまな色がある。基本的にはローズサンドと呼ばれる赤茶色のようだ。
盆地に見えるこの地面の砂は湖の底だったのか、粘土質のようであり、ぼろぼろしていて足にまとわりつき、疲労している足に追い討ちをかける。

オーバーナイトの夜間ステージでは砂地は硬く引き締まっていて、地面を踏んでも砂が崩れることはなく、蹴って走ることができた。
気温が低くなると砂地は硬くなるのかもしれない。
気温が高くなるにつれ、砂が崩れやすくなる。

足の痛みにはいくつかある。
石を土踏まずで踏めば痛くないが、小指や親指で踏んでしまったときは痛い。
親指の構造上、肉よりも爪が前に出ているのでつま先が石にヒットすると声が出るほど痛い。
シューズのかかとが石に引っかかると、足が中で前方へ滑り、シューズの中で爪の先端がシューズの内側に当たると、これも声を上げるほど痛い。
指先の上部が石につまずいた場合、バランスを崩すとともに爪の上側が石にヒットするので、これも声をあげるほどいた。
一番痛くないのは砂地だ。砂地は足にやさしい。

そういえば、昨日は爪根あたりの上の皮膚が腫れていた。爪の先端をヒットしたことで出来たに違いない。そこにメスを入れると、濁った液体が出てきた。気持ち悪かった。

そうしているうちに、緑豊かな畑が見えてきた。
砂漠の突然現れる緑の畑。
稲のようなねぎのような。
ここに住む人たちが農業をしているに違いない。
こんな砂漠でも農業が出来るのだ。
こうなるには、さまざまな苦労があるのかもしれない。
この緑は一時かもしれない。
水はどこからか。
雨水なのか?
井戸水なのか?

人間は緑なしには生きられない。
砂漠の景色より、緑の景色のほうが落ち着くのは、緑豊かな国で育ったからだけではない。
そこには過去・現在・未来があるのだ。

CP2に着いた。
世界で一番おいしいコーラ
テントに戻り、横になって、オーバーナイトステージのことを思い出していた。
足の痛みに耐えながら一晩中歩き続け、翌日の夜明け前のすばらしい景色を背にしてゴールしたんだな。
砂漠の夜明け前。先に上った東の空の三日月を追いかけるように太陽が気配を見せ始めた。あの明けの景色は二度と忘れない。
それにしても昼間は本当に暑い。
砂漠の日中がこんなに暑いとは思っても見なかった。
走るなんて本当にクレイジーだ!

そんなときこんな話になった。

「コーラってサハラマラソンの恒例行事だよね?今年もコーラ、出るの?」

「いやコーラは毎年恒例ではないらしい」

「プレスにも情報はないな」

「世界一おいしいコーラを飲ませてくれ~」

などと話をしていると、会場にアナウンスだ。
意味は聞き取れなかったが、どうやらテント村中央でなにか起こるみたいだ。

午後3時ごろに、人の動きに合わせて歩いていくと、
戻ってくる外国人がコーラを手にしているではないか!!

テント村の中央でサハラマラソンのスタッフがコーラを配っていたのだ!!

遂に念願のコーラのおでました!

「おお!コーラだ!!

世界一おいしいコーラだ!!」

最高のご褒美だ!!

コーラを手にしたら、さらに満面の笑みがこぼれた!

テントに戻り、テントの中で日本人選手全員が車座になって、
お互いの健闘を祝福だ!

「乾杯~!!」

オーバーナイトステージを終えた達成感と安堵感。
そしてゴールが見えてきたことで、美酒ともいえる最高のプレゼント。
全員の笑顔は最高にすばらしかった。
一口、口に含むと、口の中でシュワシュワして気持ちがよく、また甘みが身体に染み渡った。
これが世界一おいしいコーラなのだ!
ここで明日のフルマラソンステージへの決意を新たにした。

夕方になって、サハラマラソンDVDのビデオ撮影を選手ひとりひとりするとのことで、日本人全員が呼ばれた。

「サハラマラソンの説明会のときに、事務所で流れていたDVDの映像にオレも出るんだ!」

うれしかった。
いざ自分の撮影になった。時間は特に決まってないらしい。
なにをしゃべろうかぜんぜん考えてなかったので、
ビデオレターのつもりで足の痛さのことをしゃべった!

満足してテントから出てきたところで、自分の名前を言い忘れたことに気が着いた!

あたりも薄暗くなってきたので、夕飯の準備だ!
今日は本当に戦士の休息だ!

調理用に持ってきた固形燃料はあまり使ってなかったので、荷物になっていた。
そこで夕飯から積極的に使うことにしよう。
毎朝、冷たいご飯を食べていたのだけど、
朝にも燃料を使うことにすればあたたかいご飯も食べられるので、
気分転換にもなっていいな!

日が暮れたころ、車がテント村の中央に横付けになっていた。
そして大会のサハラマラソンビデオ上映会がはじまった。

初日や二日目の映像が流れた。

あそこを乗り越えて、ここまで来たんだな。
あそこがあるから、今ここにいられるんだな。
あのときはがんばってたな。
でもだいぶ景色を忘れているなあ。
とても昔のようで懐かしかった。
戦士の感動の休息日
4月3日(サハラマラソン:ステージ4:2日目)

サハラマラソンのオーバーナイトステージでへとへとになった。
早くテントに行って横になりた。

そう思ってテントに向かおうとしたら、テントがないとスタッフに言われた。

なんで???

その代わりにスタッフ事務用のテントを案内され、そっちに向かった。
テント村よりの近くにあったので、ちょっと得した気分だ。

テントには他の選手たちがすでにシュラフで寝ていた。
みんな同じようにゴールしてきたんだな。

いざ、テントにあがると疲労で身体がとても重い。
足も硬直している。
しゃがみこむところから一仕事だ。

身体が不自由になったので、スローモーションで寝る準備だ。
シュラフを出すのにも一仕事。
動くのが嫌になってきた。

寝る準備だけで30分くらいかかり、ようやく目をつぶることができた。

まわりが明るくなって目が覚めた。
寝たのは1時間ほど。
寝始めたのが6時前だった。

さっそく起き上がると、先に寝ていた5人ほどの選手はすでにいなくなっていた。
代わりに、となりのテントの韓国人選手がいた。
彼の足を見ると、マメができたところから紐が数本出ていた。
「それはなんですか?」
と聞いてみると、
「これは韓国式のまめの直し方です。早く治ります」
と答えてくれた。
マメの脇に貫通穴を開け、こよりのような紐を通し、端はマメの外側に出しておく。
そうすると、マメにたまる水分が紐を伝って、外側へ移動し、乾燥するというわけだ。

そんな話をしていると、遠くから松永さんとみさこさんが歩いてきた。
手を振って声をかけたら、見つけてくれてふたりと喜びの握手だ。
知った顔に会うと、とてもうれしくなる。
ふたりはずっと応援をしてくれるので、顔を見るたびにほっとされてくれた。
テントの事情を話すと、仲間たちがどこにいるか探しにいってくれた。
ふたりが帰ってきて、一緒にテントに向かおうとテントから立ち上がった。
足がさすがに筋肉痛で辛い。。。。
二人に荷物を持ってもらい歩きだすと、向こうのほうから知った顔が歩いてきた。
あれ~??のりちゃんだ。
また元気に再会できてうれしいのだけど、なんで?
ひょっとしてこんなに早くゴールしたの?
頭に浮かんだ疑問。

彼女はいつもどおり、とても元気。
リタイヤしたと語ってくれた。
とても前向きなリタイヤだったそうで、このことを前向きに捕らえていた。
彼女はCP2からCP3に向かう峠越えですでに日が落ち、暗闇で道に迷い、2時間ほどさまよった。
とても心細くなってふえを吹いたりしたそうだ。
へとへとになったときに、後方からラクダとベルベル人が追いついてきて会うことができた。
ここで気をとりなおしてCP3を目指そうとしたが、ラクダに出会ってほっとし、緊張の糸が切れたようで、精神的にも体力的にも消耗したことを自覚してしまい、リタイヤをすることを選んだ。
照明弾を打ち上げようと何度も試したがうまくいかず、ベルベル人に頼んだそうだ。
そうしたらベルベル人も打ち上げることができなかった。
仕方なく、力を振り絞って打ち上げることに成功した。
しかしその勢いでベルベル人は驚きで飛び上がったそうだ。
そうすると大会の車が迎えにきたそうだ。
彼女の話している表情は興奮さめやらぬ様子で、また実に晴れ晴れしていた。
ただ足のまめは痛そうだった。

のりちゃんは事務所に寄ることになっていたので、松永さんとテントに戻ると、三宅さん、関さん、澤村さん、寛平さん、林さんが休んでいた。
みんなとがっちり握手だ。
ようやくここまでこれた。
みんなやり遂げた実にいい顔をしていた。
それぞれのストーリーがあったんだ。

自分の報告をしたあと、のりちゃんのことを話した。
みんなは驚きとともに、落胆や同情の表情に変わってしまった。

自分のテントの中でようやく座ることができた。
やはりこのテントが一番落ち着く。
おなかがすいたので、食事を食べた。
今日はごろごろ過ごそう。

のりちゃんが帰ってきた。
みんなで彼女を囲んで労をねぎらった。
彼女は元気に来年も出るわよ!
と宣言するほど強気な発言が多かったが、完走したかったと遠くを見つめながら漏らしたときの表情が悔しそうだったけど、やっと本音を言えたという安心感からか、やさしい顔になって。
俺は完走する決意を新たにすることができた

自分の興奮がさめないのか、眠ることができず、洗濯をすることに。
テントの中で過ごしているのだが、日中はめちゃくちゃ暑いことを実感した。
こんな中で走っているなんて本当にクレイジーだ。

今日、一番したいのはクリニックにいくことだ。
オーバーナイトでたくさんの選手がぼろぼろになっているので、早く行っても混んでいるのは目に見えている。
今日は時間がたっぷりあるので、時間を置いてからクリニックに行こうと決めた。
ステージ後半から筋肉疲労で足が上がらなくなり、瓦礫や石へ足の指を強打するごとに親指に激痛がはしったのだ。
爪がはがれ、中に水がたまっていたに違いない。
巻いてあった包帯はところどころ赤く染まっている。
自分で恐る恐るはずしていくと、がんばった俺の両足が現れた。
足全体が黄ばんでいる。
水がたまってところどころ白くなっている。
さわってみると、膿んだ液体が流れてきた。
すると、どこから出てきたのか、ハエがそれにたかってきた。
一匹、二匹、三匹と増えてきた。
初日にクリニックで並んでいたとき、前にいた外国人の靴擦れ跡にハエがたかっていた光景が、自分にもあらわれたのだ。
気持ち悪さに、ハエを追い払い、すぐにクリニックに行こうと決めた。

さっそくクリニックに行くと、気のよさくて人懐っこいおっちゃんドクターが手当てしてくれた。
彼の名前はアダムス。彼もまたフランス人だ。
熱線の半田ごてのようなもので爪に穴を開け、メスで穴を広げて水を抜かれた。
熱線が爪を貫通して下の皮膚に触れたときには今までに感じたことのない激痛が走った。寛平さんのテレビクルーがカメラを向けていたが、この治療だけはあまりに痛そうで撮れないと言って、撮影をやめてしまった。
なお帰国後、両足の親指と小指の爪はすべて剥がれた。

多くの選手が休息日となったこの日。
余分になる水で水浴びをする選手がたくさんいた。
関さんもまた水浴びをした一人。
テントから50mくらい離れ、そこで素っ裸になった。
そして頭からペットボトルの水をかけ始めた。
ここは砂漠。
さえぎるものはなにもない。
我々のテントのみんなが見ているだけでなく、他のテントの選手にも目に入る。
ひきしまった身体で、気持ちがいい様子が伝わってきた。
そのあとがすごかった。
突然、素っ裸で仁王立ちをするやいなや、ストレッチをはじめたのだ。
灼熱の大地で、戦士の休息。
青い空と赤茶色の砂地、そして地平線をバックに陽射しを浴び、輝いていた。

昼前に、水4.5リットルをもらいに行った。
そこで配っていたフランス人スタッフに笑顔で名前を呼ばれ、
「俺を覚えてるか?」
と声をかけられた。
はじめは思い出せなかったけど、ステージ3のゴール後にクリニックの前で話をしたスタッフだった。
妻が日本人だって言ってた彼だ。
名前を忘れてしまっていたのだけど、がっちり笑顔で握手できた。
覚えてもらっているのって、うれしいな。

昼になると、昼ごはんの時間だ。
今日の昼食分のアルファ米100gをオーバーナイトの夕食にまわしたので、オーバーナイトの夕食200gがあまっていると思っていた。
おかしい。
数があわないかも。
最終日までの食事の数を確認したところ、1食足りないことがわかった。
そういえば多いと思って家に置いてきたアルファ米200gがあった。
必要なものだったのか。

持ってきた食糧は、レース中の消費カロリーを考えての食事量だった。
今日の昼間は寝て過ごしてもいいし、食べなくても大丈夫だろう。
 ということで、まわりが昼食をしている中、寝転んで目をつぶって休んだ。

昼を過ぎて、最終ランナーがゴールに向かっていると会場にアナウンスが流れた。
アナウンスの内容はわからなかったのだが、村上さんがまだゴールしてなかったので、関さん、澤村さん、林さん、山崎さんとでゴールに見にいくことにした。
そうすると、疲れ果てた大勢の選手たちがテントから這い出し、足を引きずりながらゾンビのようにゴール前に歩いていくのだ。
足を引きずりながらゾンビのようにテントから這い出したたくさんの選手が最終ランナーを迎え入れるためにゴールへ歩いた。
ここは野戦病院か?
リュックの肩のベルトが擦れてできた肩の擦り傷。
腰ベルトがすれた腰の擦り傷。くつずれによるかかとの擦り傷。足のまめ。
上半身裸のサンダル姿で足をひきずっていたり、びっこをひいている。みんな立っているのがやっとではないか。

一体なにが起こるのか?
そして、ゴールの前に集まった大勢の選手たちがゴールまでの道を空けて列ができた。
遠くからランナーが来たようだ。
くみちゃんなのか?
これが最終ランナーなのか?
くみちゃんもリタイヤなのか?
そんなことを仲間と話した。
遠くに姿が見えた。
最終ランナーが来た。
ふたりいるようだ。ひとりはベルギー人のようだ。
そうすると、ここのやつらが精一杯、あたたかい拍手や喝采をしはじめた。
指笛も吹いた。
姿が確認できるようになった。
日本人だ!くみちゃんだ!
あの色のウェアはくみちゃんだ!
くみちゃんもゴールだ!
僕らは笑顔でよろこびを共有した。
最終ランナーのがんばりにうれしかった。
拍手喝采している選手たちを見ていると、涙があふれてきた。
涙が自然に頬を流れてはじめ、とまらなくなった。
ひくひくいいはじめた。
同じ距離を走りきった仲間たちが、その痛みや喜びを分かち合い、自分のことのようにはしゃぎながら声援を送っている。

 選手だけがこの道のりの大変さを共有できるのだ。
でもどうしてみんなそんなに応援できるんだ。
どうしてこんなにあったかいのだ?
最終ランナーが日本人だから俺たちはゴールまで見にきたんだ。
なのに、お前らはなぜそんなにやさしいのだ?
感動して涙が止まらなかった。
共に難関をゴールした者だけが共有できる運命共同体のような雰囲気が生まれていた。

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