サハラマラソン245キロへ挑戦(2008年3月28から4月7日完走!)
サハラ砂漠を7日間で245キロを走り、しかも7日分の食料と背袋はすべて背負いそれで生活をおこなうサバイバルレースである世界一過酷なサハラマラソンの挑戦記です。その後2009年チリ・アタカマ砂漠マラソン(7日間250キロ)、2010年中国・ゴビ砂漠マラソン(7日間250キロ)を完走し、2010年11月の南極マラソン250キロを完走しました!

サハラマラソンへご支援いただき、誠にありがとうございました!
文房具、Tシャツも多数頂き、サハラの村の子どもたちに渡すことができました☆

2009年世界で最も乾燥したチリ・アタカマ砂漠マラソン250キロ完走。
2010年に中国・ゴビ砂漠マラソン250キロ完走。
2010年に極寒の南極マラソン250キロを完走しました。
この経験からどんなに長い距離でも走れるテクニックを
教本「驚異のマラソン上達法」(ここをクリック)にまとめました。


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サハラマラソンの魅力、そして攻略法とは
この世界一過酷なサハラマラソンはクレイジーだ!
しかし、終わってみれば参加者全員がサハラ砂漠に魅了されてしまうのだ。

一般のマラソンランナーにとって、サハラマラソンは大変厳しい。

コース状況は、大小の砂丘越え、瓦礫、干上がった川底(砂地)、干上がった湖、砂地の山越え、そして最後にアスファルトであり、こんなに身体を酷使する路面はない。

完走するために必要なことはなにか。

サハラマラソンは準備をしっかりやれば完走できる。
つまり、準備をどれだけやったかが完走する確率を決めるのだ。

特にシューズ選びと食糧などの荷物が重要で、ここをおろそかにするとレースで痛い目にあうだろう。

今回は水分を通さないゴアテックス素材のトレイルランニングシューズに、主催者HPにあったゲートルを装着した。
ゲートルは、接着面をしっかり脱脂して接着剤の使用方法を守ったので、最後までマジックテープが剥がれず、砂はまったく入らなかった。
接着剤の使用方法どおりにやれば、マジックテープが剥がれることはないのだ。

シューズはトレイルランニングや河原をたくさん走って靴ずれができないことを確認すべきだろう。


トレーニングだけではサハラマラソンは完走できない。
食糧は、7日間のメニューを決めておくことだ。
そのためにも試食は必ずやっておくこと。
当日になって口に合わず、捨てた選手もいたほどだ。
サハラ砂漠のレースは思うようにペースがあがらず時間がかかるので、
オーバーナイトステージなども考えると食糧は思った以上に必要だ。
心配なら余分を持っていくべし。

サハラマラソンは荷物の重さが過酷さに上乗せされる。
その中でも食糧が一番の荷物になるので、できる限り余分を少なくすること。
覚悟があるなら、最低限の荷物にしてできる限り軽くすべし。
包装紙などもやめるなどの工夫をして大幅に軽量化できた。

またサハラマラソンはゴールまでの時間が予想以上にかかるので、
携帯食はしっかり考えておくこと。

さらにゴールまでの見通しが確実にたつまでは食糧は絶対に捨ててはいけない。
なお心配なら荷物を多めに持っていく。
サハラ砂漠の環境にあわせて現地で荷物を調整し、いらない荷物は前日の荷物検査時に置いていけばよい。

最後に。

サハラマラソン日本人出場者である三宅さん、関さん、林さん、澤村さん、山崎さん、間さん、宮田さん、村上さん、飯田さんの計9名の最高の仲間と7日間を一緒に過ごすことができ、本当によかったです。

またサハラマラソン日本事務局のフリーマンの松永さん、みさこさんには、連絡事項やロードマップの翻訳などで大変お世話になりました。

そして、サハラマラソン大会スタッフのおもてなしが最高にすばらしかった。みんな、メルシー!!


サハラマラソン4日目の75キロのオーバーナイトステージでは、最終ランナーとなった日本人参加者が翌日の昼頃にゴールした。
このときの光景があまりにも感動的で、今思い出すだけで涙が出てくるな。
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感動のフィニッシュ!
4月5日(ステージ6:17.5km)
 今日もまた寒さで目が覚めた。
 どこのビバークでも砂漠の夜は寒いんだな。

しかし、この寒さもこれが本当に最後だ。
さて最後の一仕事。
サバイバルシートを取り出す作業だ。

顔半分までもぐりこんだシュラフのチャックを開けると、冷気がスッと流れてこんできた。

はやく作業をすませなきゃ!

腕を出して、上半身を起こし、足の下に置いたバックパックに手を突っ込む。
もぞもぞしているうちに、腕や上半身がどんどん冷えてきた。
肩口がひんやりしてきた。
ようやくサバイバルシートに手が触れた。

よし!

シュラフの中にシートを押し込み、中で広げて身体に巻きつけた。
アルミ製のシートはがさがさ音を立てるので、寝ている人を起こさないかと心配になった。

これからあたたまるぞ!

と思っていたら、いつの間にか眠りに落ちた。

気が着くと、朝がやってくる時間になっていた。
はるか先の山並が朝の柔らかな陽射しを浴びて、オレンジ色に輝いていた。

この朝陽を見るのもこれが最後だな。

輝きを帯びた朝陽と夕陽は、たとえ埃っぽい大地だろうと、美しく彩り、名画のように見せてくれた。
過酷なレースを続けていて今日が最後。
ホッとすると思いきや、さびしくなった。

今朝はいつも雰囲気が違う。
のんびりした空気が流れている。

そうか!テントの撤収がないんだ!

いつもは朝早くからベルベル人がテントを片付けに来るので、朝がせわしないのだ。
朝早く片付けるのはテントを次のビバーグに運ぶためだった。
しかし次のビバーグはないのだ。
ビバーグはここまでなのだ。

また今日が最終ステージということで、朝からお祭り騒ぎ。
距離が短いこともあり、余裕なムードだ。
最後の朝を最高の思い出にするために、どのテントでも笑いが耐えなかった。

そんなとき、山崎さんがとなりのテントの外国人選手とメールアドレスの交換をしていた。
いろんなシーンで外国人の選手と仲良くなっていたんだろうな。
彼はたくさんの友達を作っていたからな。

旅先でのメールアドレスの交換に似ていた。
これって、別れ際にやるんだよな。
今日が終わったら、二度と会えなくなるかもしれないんだな。
オレにも出会った人がたくさんいたな。

そう思っていると、前日一緒にゴールしたフランス人のマークがテントにやってきた。
サングラスをとっていたのではじめはわからなかったが、声を聞いてすぐにわかった。

おお!きてくれたのか~!

頬を寄せ合って挨拶。
頬で感じる無精ひげのちくちく感。
この頬の感覚こそ、昨日のゴールで感じたものだ。
本当にうれしかった。

そしてお互いにメールアドレスの交換をした。
今日のレースをお互いに健闘を誓い合った。

ここであることが脳裏をよぎった。
オーバーナイトで一緒にゴールしたマークと今会わなければ、二度と会えないかもしれない。

彼からテントの番号は教えてもらっていた。
ゴールすると、その順番でバスに乗せられてワルザザードのホテルへ直行だ。
そして閉会式となる。
普段着になったら、お互いのことがわからなくなるかもしれない。
彼のメールアドレスを聞くとしたら今しかない。

レースの準備もそっちのけで、彼のテントを探しに行った。
テントは全部で120個だ。
テントの前に番号札がついているので、それを追っていけばいい。
マークはテントにいるだろうか。
俺のこと、覚えていてくれるだろうか。

ついに彼の番号のテントが見つかった。
テントの中を覗いてみると、彼はレースの準備をしていた。

声をかけてみた。
そうすると、彼はとても嬉しそうに笑顔で迎えてくれた。

一日ぶりにがっちり握手。
お互いに足の具合を話した。
彼もまた足に包帯だ。

冗談を言い合ったあと、メールアドレスの交換をした。
そしてまた握手をして、お互いに最後のステージの健闘を誓い合った。

会いにいって、本当によかった。
今日は泣いても笑ってもレース最終日。
とてもあったかい気持ちでスタートを迎えられる。

あとやっておきたいことがある。
最後に日本人10人全員で写真がとりたい!

初日にみんなで撮った集合写真からどう変わったのか。
その姿を比べてみたい!
テントの前に出て、記念撮影だ。
みんなそれぞれがいろんな想いで最終ステージを迎えたのだ。
スタートラインに立つまでに、これまでのことをそれぞれが思い出すのだろう。

ALLJAPAN

そして、スタートからいつもの音楽が流れてきた。
AC/DCのYou shock me all night longだ。
この曲を聴くのもこれが最後。

毎朝スタートでおこなわれるセレモニーも今日が最後だと思うと一抹の寂しさを感じた。
マラソンは一人でもできるスポーツではあるけど、決して孤独なスポーツではない。
この日本人の仲間がひとり欠けたら、また違ったレースになっただろう。
このメンバーのおかげでここまでこれたのだ。
ここで出会った外国人選手やドクター、スタッフ、ベルベル人にも感謝だ。。
また、日本で応援メッセージをくれた仲間。
陰で支えてくれるたくさんの仲間。
俺の新聞記事を見て、応援してくれる見ず知らずの人たち。
すべての人たちにも感謝。
そして、宇宙と大地にも感謝だ。

今日は17.5キロの最終ステージ。
スタートはテント村の真ん中を抜けていく。
CPはひとつだけだ。
CPを越えたら町に入る
そして念願のゴール。
7日間のゴール。
世界で最も過酷なサハラマラソンのフィニッシュラインがそこにあるのだ。

map6


今日はもちろんゴールに行くことが目的だが、お土産の砂の収集も必要な目的だ。
ゴール地点ではすぐにバスに乗せられてしまい、砂を集める時間がないとのことだったからだ。
初日の大砂丘の砂が欲しかったが、あそこから重量を増やすわけにはいかなかった。
できる限りさらさらした砂で、しかもCP1までに集めることがタスクだった。

スタート地点に行く途中、寛平さんのカメラクルーから激励を受けた。
彼らの笑顔がなかったら、もっと寂しいレースになったに違いない。
レース途中で、彼らと笑顔をかわすことがどれだけ励みになっただろうか。
本当に感謝だ。

ついにカウントダウン開始!

「トゥワロ ドゥ アン スタート!」

最終ステージのスタートだ!

選手それぞれがいい顔をしている。

これでゴールだという安堵感もあるし、これで最後という寂しさも表情に出ていて、
感慨深い選手全員だ。

オレはまわりをきょろきょろ見渡しながら、砂集めポイントを探して走っていた。

「ここはまだ集めるには早すぎだな。」
「これはちょっと砂が荒いな。」
「ここの砂は量が少ないので、集めにくいな。」

などなど、走るというよりお気楽な散歩気分。
そんな風にして走っていても、なかなかいいポイントが見つからない。

「待て待て、もうじきCP1が出てくるころだな。
 その前に、拾っておきたいな。
 ゴールの町に入ってしまったら、砂などないだろうしな」

そうしていると、同じように砂集めを考えている選手が
足をとめて砂を集めてペットボトルに入れていた。

「どこの国の人も同じなんだなあ」

彼らに笑顔であいさつをし、オレもそこに参加して、一緒に拾った。

「この一体感がまたたまらないね」

そして9キロ地点のCP1がついに見えてきた。

これが最後のCPだ。
いつもと同じように地平線のかなたにポツリと突然現れた。

今までどれだけCPに救われたことだろうか。
どれだけCPを切望しただろうか。
どれだけCPを待ち望んでいただろうか。

CPを過ぎると、またまっすぐに進む。
地平線に向かって走るのがサハラマラソンなんだな。
いまとなってはこのパターンが嫌ではなかった。
地面も砂地で石が少ないので、足裏に緊張が走ることもなく、
心地よいリズムで先に進んだ。

前を行く選手。
見覚えがあるなあ。
山崎さんに紹介してもらってスタートのときに話をした陽気なアメリカ人の選手だ。
横に並んであいさつをしてみた。
「OK ?」
彼はニコッと笑って、親指を立てた。
覚えていてくれた。
ごそごそと携帯カメラを取り出し、写真をとってみた。
持っているストックを横に広げて、最高の笑顔だ!
お互いに写真をとりあった。

電線が出てきた。
赤茶色の土でできた家がポツリポツリ出てきた。
子どもたちがたくさん俺たちの走る道の両脇に立っている。
フレンドリーな子どもたちだ。
学校帰りなのか、友達どおしで見に来ているようだ。

ついに遠くに街が見えてきた。
ひとりの青年が声をかけてきた。
白いシャツを着ていた。
学生か。
どうやら学校帰りのようだ。
彼は高校生で、教科書を持っていた。
外国人と英語を使いたかったらしく、自己紹介をしたりして、彼の練習台になった。

そうしていると、緑が増えてきた。
ヤシの木が多いな。
草もたくさん生えている。
緑色の割合が多くなってきた。
人間が住んでいるが感じられた。
ついに街が見えてきた。
あれがゴールの街だ。
サハラマラソンの7日間の最後のゴール町、タザリンの町だ。

日の丸とエイサーの旗を取り出して、行きかう人たちに振ることにしよう。
日の丸と見て、日本と気づくこどもたちもいた。

いよいよゴールの町に入った。
大きな町なのか?

住宅地域の間を走る。
赤茶色の土でできた家の陰でたくさんの人が休みながら、おれたちを見ている。
めずらしいよな。
砂漠を走るなんて、クレイジーだと思っているよな。
「アッサラームアレイクン」
そう挨拶すると、
「サラーム」
と笑顔とともにたくさんの返事がきた。

陰を走るとひんやり感じられて、気持ちがよかった。
地元の人もたくさん定住しているようだ。
農業で生活している人もいるようだ。
窓越しから見ている者。
家の2階からも見ている者。
丘の上から見ている者。
日の丸とエイサーの旗を取り出し、それらを振りながら沿道の人々にあいさつをしながらひた走る。
日の丸の寄せ書きのひとつひとつに目をやるたびに、それぞれの笑顔が思い出され、目頭が熱くなった。

アスファルトの道に出た。
この先にゴールがあるに違いない。
もう砂漠の上を走る必要はないのだ。
トレラン用シューズで走るアスファルトは足にとって負担がかかるが、もうすぐゴールということで、喜びが先立ち、笑顔が消えることはないのだ。

観光客を乗せた車ともすれ違った。
砂漠ツアーへの玄関なんだな。

市場の付近を通過していると、すでに完走した選手がオープンテラスの椅子に腰掛、おいしそうにビールを飲んだり、肉串を食べていた。

そしていよいよフィニッシュラインが見えた。
このゴールをどれだけ待ち望んでいたことか。
レースの最後だ。
あのゴールをくぐるためにここまで走ってきたのだ。
これまでのことが思い出された。
感慨深かった。
沿道には、すでにゴールしたたくさんの完走した選手たちがビールを飲んだり、食事をしたり、共同体の仲間に向かって笑顔で声援を送ってくれた。
それに答えるように手をあげると、仲間はさらに祝福してくれた。
お前らもおめでとう!
そんな気持ちでさらに答えた。

そして遂にフィニッシュライン。
顔が笑顔でくしゃくしゃになっていた。

579位 55時間12分13秒。平均時速4.44km。トップから35時間44分27秒後れ。

完走メダルが首にかけられた。
首の後ろにその重みをずっしりと感じた。
これが7日間で得たものだ。
これをもらうために来たのか?
必ずしもそうではないが、これは形に残るものだ。
サハラマラソンをやり遂げたのだ。
ものすごくうれしかった。

大会カメラが近づいてきて、カメラに向かって日本語でしゃべるように言ってきた。
インタビューに答えながらしゃべっているとき、オーバーナイトで出会ったドイツ人がゴールした。
お互いに気がつき、インタビューの途中だったが、声を出しながらお互いにバグし喜びあった。

喜びを共有できることって、最高にうれしい。
これがマラソンなんだ。
涙を流したいと思っていたが、喜びのほうが何倍も強くて、笑いがおさまらない。
 
松永さんとみさこさんが笑顔で祝福してくれたので、バグしてそれに答えた。
三宅さん、山崎さんもいて喜びあった。
間さんは空腹を満たすかのように、たくさんビールを飲んだようでほろ酔いながら、途中で応援メッセージをもらった仲間へのお礼をどうしようかとうれしい悩みを語っていた。

 主催者が用意したバスに乗り込んだ。
 手にはゴールでもらった昼食の袋がある。
ワルザザードまでどのくらいかかるのか。
そんな時間は気にならなかった。
あれだけあざやかな青色だった空が黒い雲に覆われてきた。
陽射しも塞がれた。
雨だ。
砂漠に雨が降っているんだ。
この地は無味乾燥地帯ではないんだ。
たくさんの人を虜にする場所。
たくさんの想いが詰まっている場所。
またこの地に戻ってくるだろうか。
クラシックコンサートに間に合わない!
CP2にはヤシの木が群生している。

ヤシの木があると、海岸にいるようで、なぜかほっとした。
休憩するためにテントに行くと、寛平さんが先に休んでいた。
彼は、途中で言い寄ってくる子どもに自分のスポーツドリンクを少しあげようとして渡したところ、たくさんの子どもたちが集まってきて、全部飲み干されてしまったと、楽しそうに語った。
このあたりの井戸の水もけっして透明ではないらしい。
また彼は
「腹減った~。腹減った~」
とひとりつぶやいていた。
本心から出た言葉だ。
本当におなかがすいているようだった。
オレの手持ちの行動食を少しわけようとした。
しかし、持っている行動食がソイジョイと黒糖が入り混じり汚らしいので、申し訳ないと思い、言い出せなかった。
また乾燥梅干もおなかの足しにならないと勝手に判断し、わけることができなかった。
自分の明日の行動食をあげようかと葛藤したが、行動できなかった。

サハラマラソンのルールでは、自分の食事を他の選手に渡すことは禁じられているのだが、オーバーナイトステージでは外国人選手から一口くらいのナッツなどをもらっていたので、わけてあげればよかったと思いながら、彼の背中を見送った。
彼は腹ペコの身体で走り続けたのだった。

次はCP3を目指す。

map5b


ふかふかな砂地が多くて、足の痛みはない。
サハラ砂漠の砂がとてもやさしく迎え入れてくれたようだ。

ここで見る景色は二度と見ることができない景色。
出来る限り心のシャッターを押しておこう。
そう思うと不思議と身体が軽くなったように走ることができた。

前方に、子どもにたかられている選手を見つけた。
かなりしつこく、ボトルを狙っているように見えた。
その選手は疲れている力をふりしぼって追い払おうとがんばっていた。
100mくらいしつこく着いて来ていた。
「あの子どもがこっちに来ると、いやだな~」
そう思っていたら、その子どもはあきらめて俺のほうに近づいてきた。
はじめは
「お金、お金、お金」
と手をおれの顔の前に差し出してきた。目が必死だ。
「お金はない」
といったら次は
「ボトル、ボトル、ボトル」
と同じ口調でしつこく言ってきた。これまた目が必死だ。
そしてウエストにあるボトルに手が近づいてきて、ひったくろうとしたので、手を払って制した。
それでもこの子はしつこい。
そんなに生活に困っているのだろうか?
それとも親にやらされているのだろうか?

こっちも大事な水をとられてはひとたまりもない。
元気なら走って振り切れるのだが、ジョグペースなので振り切れるスピードではない。
後ろから追い抜いていった女性選手がいたので、その選手に指差したら、子どもは向こうにいる女性選手に近づいた。
女性選手は、その子どもの餌食になってしまった。
営業マンだったら、すごいかもな。
と他人事みたいに見ていたら、女性選手のバックパックに取り付けてある水のボトルをとろうとして、子どもは何度もジャンプしていた。
彼女はその子どもの行為を制するのに実に大変そうだった。
本当に申し訳なく思った。

砂地を走っていくと、またヤシの木群が現れた。
ここの間を走れば日陰になる。
そうして、ヤシの木の間を走り抜けると、石で出来た井戸が現れた。
人が使っている井戸だ。
水はにごっていた。

砂地を走ると前方にヤシの木の林が見えてきた。
その横のほうには車が10台以上、とまっている。
ヘリコプターも駐機している。
ということは、CP3がもうすぐだ。

ヤシの木の林に入って、CP3に到着だ。
31キロ地点だ。
今日のCPはこれが最後。あとはゴールのみだ。
寛平さんのテレビクルーがのんびりしている。
きっともう彼が出発したに違いなかった。

ここのCPには選手以外の欧米人がたくさんいた。
観光客だ。
サハラ砂漠を見に来ているのだ。
みんな笑顔で手を振ったり、声をかけて応援してくれた。

CP3を過ぎると、またまた平地だ。
ゴールは、遠くに見える地平線の彼方にある。
このマラソンのパターンだ。
このステージのように距離が長い場合は、遅い選手は暗闇の中を走ることになる。
暗闇になっても、道に迷わないように配慮されているのだ。

この砂地は緊張を強いられるほど、ごつごつした石はない。
車が通った跡をトレースしていくだけだ。
車が石を蹴散らすので、車の跡には石がなくて、走りやすいのだ。

前を行く選手の姿はかなり遠くに見える。
後ろを振り返ると、遠くに見える。

走っていると、自分のすぐ後ろに足音が聞こえはじめた。
足音が聞こえるたびに、後ろを振り向く。
しかし、誰もいない。
また走り出すと、また足音が聞こえる。
幽霊か?
幻覚か?
思考回路が鈍っているのは確かだ。

音の方向を見た。
バックパックにさしている旗だ。
風ではためく音が足音に聞こえるのかもしれない。
しかし、足音が実にリアルなのだ。
旗に寄せ書きしてくれたたくさんの仲間が一緒に走っているのだ。
そう思うと、とてもうれしくなった。
足取りが軽くなった。

ペースよく走っていると、前の選手に追いついた。
CP1のあとの平地で抜いたり抜かれたりで顔見知りになったフランス人だ。
ひとまわりくらい上の年齢か。

ゴール近くまでくると、誰と一緒にゴールしようかと、みんな考えるのかもしれない。
またここまで来ると集中力が切れてくるので、ひとりで黙々と走るより、他の選手と一緒に楽しみながら走りたくなるのだ。
お互いにへたくそな英語で話をした。
意味がわからなくても、一緒に笑いあった。
そして一緒にゴールまで行こうとお互いに決めた。

ここまでくると、もう走っても歩いてもどっちでもよくなる。
今を楽しもう。
ただそれだけだ。

彼は、先に行ってもいいよ。と気を使ってくれた。
しかし、俺自身も先に行く気はさらさらない。

そうしていると、ついにゴールが見えてきた。
ゴールが見えると、いままでの疲れの半減するから不思議だ。
最後は走ろうと、フランス人は声をかけた。
オレは「ウィ」と返事をした。
笑顔で互いの意思を確認できた。
心が通じ合った。
ラストスパートに自然と足取りも速くなった。

俺はバックパックに挿している日の丸を取り、握り締めた。
高々に振り上げた。
寄せ書きしてもらったみんなと一緒にゴールしたい。
そう思った。

ゴールでフランス人の彼と頬を寄せ合い、喜びあった。
彼と一緒にゴールできて本当によかった。
フランス人の友達がひとり増えた。

テントに戻ると、先に戻ったみんなのほかに、リタイヤしたのりちゃんもいた。
仲間の顔に会えると、本当にほっとするんだな。

シューズを脱ぐと、急に足の痛みがぶり返してきた。
勝手なもので、足を見ると痛みを思い出すらしい。
包帯をとると、今日もがんばった足がそこにあった。

たくさん汗をかいた足
まめがつぶれて液体が出ている足
爪がはがれた足

いつもの日課で、そのままクリニックに行った。
クリニックに行くのもこれが最後だな。
毎回、足の治療をしてくれてありがたいな。
今日は若くて美人のドクターがいいな。

なんて思っていた。
クリニックの前で足を消毒していると、昨日お世話になったドクターが出てきて、おれに気が着いた。
握手をしあうと、彼は俺を中に呼び寄せた。
順番を指示しているスタッフが彼に、ちょっと待ってくれよ、といわんばかりに話をしていた。
それもそうだ。
おれの前に、治療待ちの選手がいるのだから。
しかし、彼は力があるのか、これがフランス式なのか、先に中に入れた。
おれとしても、昨日の具合も見てもらっているし、都合がよいと思った。
ただ、カルテなどないのでみんなの足の具合を覚えているとは限らないのだが。

今日の治療は足裏のまめの皮を取り去った。
その下に皮が出来てきていたので、そうしたのだ。
また足の親指付け根のところが水ぶくれになっていたので、メスで切って、水分を出し切った。これが痛かった。
さらに痛いのは続いた。
爪に熱線で穴をあけ、メスで穴を広げて、なかにできたマメを潰す治療だ。
これって、手術じゃないのか?
熱線が爪に穴を開けたあと、勢いよく下にある皮膚に触れた。
思わず、声をあげてもだえてしまった。
カメラクルーも俺の足裏をとってくれた。
皮をはいで、赤い治療液をぬり、包帯を巻いて治療は終了。
また痛み止めをもらった。
このドクターと会うのも最後か。
初日にお世話になった女性のドクターもいたので声をかけると、喜んでくれた。
若い美人のドクターには会えなかった。

星降る砂漠の夜の演奏会は最高だった。オペラ歌手とオーケストラ。明日が最後のステージ。遂にここまで来たか。クラッシック音楽がとても心地よかった。
オーケストラコンサート
大会6日目のフルマラソンステージの夜は、満天の星空のもと、静寂に包まれた砂漠のど真中で、オペラ歌手とオーケストラによるクラシックコンサートがおこなわれた。丸く囲んだテント中央に特設ステージと椅子が用意された。その演奏やオペラの歌声はビバーク全体に響き渡った。椅子に座りながら聴いたその演奏は、疲れた身体に心地よく響き渡り、日中の過酷さを忘れるほど癒された。そして最終ステージを明日に控え、ここまで来ることができたことに感謝せずにはいられなかった。

コンサートも終わり、何人かがシュラフに入りだした。
しかし、くみちゃんがまだだった。

関さん、山崎さん、林さん、澤村さんの若い組で、ゴールに見にいくことにした。
あたりはすでに暗闇。
今日もヘッドライトの明かりを頼りに走っているに違いなかった。
ゴールに行くと、外国人選手5人がゴールでコースのほうを眺めていた。
自分たちの仲間を待っているのか?
選手がゴールに近づいて来るごとに、声をはりあげ応援していた。

こういう奴らって、本当にあったかいよな。
また楽しみかたを知っているんだな。

みんながみんなではないが、ここの選手たちは相手が喜ぶようなことを自然にやっている。
これがフランス人なのか。
これがヨーロッパ文化なのか。

遠くに明かりが見えてきた。
2人の選手が近づいてきた。
くみちゃんなのか?

さらに近づいてくると、1人はくみちゃんであることが確認できた。
応援している外国人と一緒になって、声をはりあげた。

ゴールに向かってがんばっている姿は本当にすばらしい。

くみちゃんと外国人選手がゴールすると、応援していた外国人たちもテントに戻っていった。
仲間を待っていたのではなく、選手の応援のためにゴールに来ていたのだ。
すでにシュラフに入ってもよい時間なのに。

こいつら、最高にいい奴らだ。

テントに戻ると、昼間にもらったメールがくみちゃんに渡された。
いつも自分宛のメールを紙に出してもらえるのだ。
くみちゃんが受け取った1通は、俺も含めて日本人全員に来た同じアドレスの人からだった。
いたずらメールだと思ってほっておいていたが、昨年のサハラ出場選手からだった。
ひとりひとり違う文面で書かれていた。

大会HPで自分のことを見てくれている人がいると思うと、感謝せずにはいられなかった。

フルマラソンステージ
4月4日(サハラマラソン:ステージ4:42.195キロ)


日の出前の5時30分ごろ起きだして朝ごはんの準備。
あったかいご飯を食べるぞ。

一日休んでのぞむサハラマラソン唯一のフルマラソンステージ。

オーバーナイトステージを乗り越えた安心感。
それよりもマークとの出会いにより、自信がついた。
仲間と一緒ならやり遂げることができるのだと。

のりちゃんは大会の車で移動なので、早く行ってしまった。
先にゴールで待っていることになるのだろう。

 考えてみればフルマラソンステージは長い。
この砂漠で42.195キロを走るのだ。
3日目の40.5キロのステージで夕方にゴールしたのだ。
しかし、オーバーナイトステージのあとでは、そんな距離はとても短く思われた。

map5a


ここまで来れば、明日は最終日。
レースの峠をこえたので、あとは下るだけだ。
ドクターに診てもらった足の具合もよいので、この調子で突き進むだけなのだ。

オーバーナイトで会ったドイツ人のユーゲンは、俺にとってすばらしいメンターだ。
好きなように時間をコントロールしてゴールすればいいのだ。
早くゴールすることが目的なのではないのだ。
テントで長く休みたくて走るのではないのだ。
この瞬間を。
今を最高に生きるために走るのだ。

選手はみんなオーバーナイトステージをやり遂げた達成感やゴールが見えてきた安堵感。そして休息明けで体力が回復し、自信がみなぎっていた。

スタートから見えるのは平坦な荒野。
あいかわらず、碧く澄んだ空に、赤茶色の大地。
生物など存在しないと思っていたこの砂漠がいとおしく思えるようになった。
あと2日で終わりだと思うと、急にさびしくなった。

カナダ人のマークやドイツ人のユーゲンとまた会えるかな。
いや会えるに違いない。

走っていると遠くの山が近づいてきた。
コースのリズムはだいたいわかってきた。
このあたりは、いくつもの山々に囲まれているのだ。
山を越えると平地を走り、そして山を越えてまた平地だ。
山登りはエキサイティングで達成感があって楽しい。
平地は地味に足を動かし続けなければならないが、どこに楽しみを見つけるかで退屈な時間になったり、楽しい時間になったりする。
人生もまたこういうものなのかもしれない。

あいかわらず陽が登ってくると風が強くなるな。
4.5キロ地点の山へ来た。
選手が列になって登っていく。
みんな自信に満ちた表情で登っている。
荷物が軽くなったからか。
きっとオーバーナイトをやり遂げた自信と、あと2日でゴールということで完走することが確信してきたからだろう。
みんなそれぞれの感情でこの景色を味わっているに違いない。
砂地であるが、緩やかな傾斜なので気持ちよいペースで登っていく。
調子よく登ることができた。
頂上でコースの様子を確かめた。
この先はまた平地で、遠くにまた山が見える。
いつものリズムで山と平野だ。


この調子で一気に降りるか。
スピードに乗って前を行く選手たちをどんどん抜いていった。
降りたところで、大腿部に疲労がたまっていることを感じてしまった。
やりすぎたか。
平地はゆっくりペースでいこう。

平地の景色はあいかわらず変わることがなく、気が遠くなりそうだった。
足の下の地球は勝手にまわっている。
足を上げるだけで、地面が勝手に動いてくれるのだ。
辛いときは、そう思うようにしている。

足を動かし続けるとCP1がやってきた。
この先はまた山登りだ。
水の補給がすみ先に進むことにした。

この山もまた砂地だ。
山というより丘に近い高さの峠ごえで、横に稜線が伸びていた。
岩がところどころに転がっていて、まるで河原のようだ。
もともと岩山なのだろう。

そしてまた平地だ。
次の山まで間隔がせまいぞ。
変化のある路面は楽しい。
この山の稜線も横に伸びていて、山の先にはなにがあるのかわからない。
この先にはなにがあるのか?と思うだけで、チャレンジ精神がわきあがってきて、飽きることがない。
そんなとき、見覚えのある後ろ姿が前方にいた。
ドイツ人のユーゲンだ。
昨日、俺の考えを変えてしまったメンターだ。
どうやらビデオを片手に持ちながら撮影をしながら走っているようだ。
彼は実は足が速くて強靭だ。
写真を撮ったりしなければ、もっと短時間でゴールしてしまうに違いない。
そうであれば、俺とは絶対に会うことができなかった。

彼もまた俺に気がつき、笑顔になった。
そして、
「写真を撮ってあげるから、カメラを出して」
と言って、おれの写真を撮ってくれた。
さらに
「ビデオを撮るのであそこまで走ってくれ」
と言って、先のほうを指差した。
彼は手に持っているビデオで、俺の走るシーンを後ろから撮影したのだった。
そしてまた、
「ビデオで俺の走るシーンを撮ってくれないか」
というので、後ろから走りながら撮影した。
山の登りがはじまっていて、少々辛かった。
それにしても、ユーゲンはいろんな楽しみ方を知っているだな~。
すばらしい生き方だな。ドイツ人特有なのかな。
しかし、ここでその楽しみをするには、トレーニングをして作った強靭な肉体が基本になっているのだ。
彼の下半身は筋肉で引き締まっていた。
こつこつと努力を積み重ねてきたんだな。

登りかけている山は思ったより高い。
近づいてみると、砂の壁があるようだった。
この山は砂地で、足を踏ん張ることができなかったが、オーバーナイトの最初に登った砂地に比べれば、軽いものだ。足をとられながらも気持ちよく登りきった。
峠越えだ。

峠には子どもたちが5人くらいいるのが見えた。
「俺たちのマラソンがめずらしいから見に来ているのかな。
それとも応援してくれているのか。
ありがたいな~」

そんな思いで近づいていくと、
「マネー!マネー!」
と言って、手を出してきた。
そういう思いでこの子どもたちは登ってきていたのね。
「さすがに持ってないんだよね。」
そんな気持ちで伝えたが、持っていてもあげないだろう。

ここの生活にとって、マネーを得ることはどれだけ大変なことなのか想像ができない。
こんな砂漠で、7日間も走る俺たちにどんな思いを持っているのだろうか。
戦争や貧困で苦しむ国に生まれていたら、なんと贅沢なスポーツだろう。
このレースに出られる俺は本当に恵まれた人間なのだと思う。

別れる前に、子どもたちに声をかけた。
「アッサラームアレイクン」
とそうすると、
マネーと言っていた子どもたちが
「サラーム」
と返事をしてくれた。
どんな物乞いをしている子どもでも、挨拶をしてコミュニケーションをとろうとすれば、笑顔になって、一緒に遊んでくれるのだ。
ひとり旅をすると、そんな出会いがまた楽しい思い出になるのだ。
「元気をありがとう!」
そう伝えてバイバイした。

そして急な下り坂をまた一気に降りた。
ますます太ももの筋肉が硬くなった。
早くも足は悲鳴をあげはじめた。
「この痛みを味わいつつ、対話していこう。
ありがとう、俺の太もも。」

次の平地はタマリスクがところどころに生えた砂地だ。
平地にもたくさんの現地の子どもたちがいた。
雰囲気が少しずつ変わってきた。

自分が後ろから
日本!とかこんにちは!
とか声をかけられたのは、日の丸を背負っているからだ。
だとしたら、自分も同じようにやってみよう!
みんな運命共同体の仲間だ。
声が帰ってこなくてもいいや。
声を出すだけでも楽しいからやってみよう!
そんな衝動に駆られた。

ポーカーフェイスで黙々と走っている人でも、笑顔で挨拶をすると笑顔が返ってくるのだ。
視線を落としてつらそうな人に声をかけ、親指を立ててニコってしてくれたときは最高だった!

そうしているうちに、「Magic」書いてある旗をバックパックに着けた選手がいた。
「マジック!」と大声で後ろから叫んでみた。
その選手は後ろにいた俺に振り返り、笑ってくれた。しばし彼と並走だ。
彼はスペイン人のカタゴーニャに住んでいて、名前をマルコと言った。
彼はインターポールで仕事をしてる警察官で情報を扱っていると言っていた。
インターポール??
「ルパン3世」で出てきた名前だ。
休みはよく取れるらしい。
旅行も好きで、30カ国は言っているらしく、5大陸すべてに行っている。
特に南米大陸が好きとのこと。
スペイン語は通じるし、スペインからは近いしな。
しかし日本にはまだだとのこと。
「そんなに旅をしているのに、まだ日本に来てないのですか!
 ぜひ日本に来てください!」
そんな風に言えるようになったのはいつからだろうか。

海外に出ると、相手にとって俺は日本代表であり、観光大使なのだといつも思う。
相手がはじめて話した日本人が俺だったとしたら、俺が日本の印象になるのだ。
サッカーを見たとき、日本製品に触れたとき、日本ということが意識したら俺のことを思い出すのだ。
このように思うようになってから、俺の中に「日本人」というアイデンティティーができあがった。

また結婚してて子どももいるそうだ。
どこの国の人も、子どもの話をするととても幸せそうな顔になる。

一緒に行こうと言ってくれたので3キロくらい並走した。
時間はちょうど正午。マルコの時計で気温は36度を示していた。
昨日、ビバーグで過ごした日中はものすごく熱かった。そんな日中を走るなんて、みんな強靭なクレイジーだ。
水分不足で脱水症状ぎみなのか、または暑さで熱中症ぎみなのか、少し頭痛を感じていた。
水分をとらねばなるまい。

マルコのペースのほうが早かったので、次第に離れていった。
別れは突然やってくるもので、それから再会することはなかった。
これも一期一会だ。

突然、臭いが鼻をついた。
風が後ろから来ていた。
しかし後ろには人はいない。
この臭いはおれから発せられたものだ。
昨日、たいていのものを水で洗濯してきれいになったはずなので、この臭いは体臭なのか。
そういえば筋肉痛を和らげるためにクリームをつけてふくらはぎや太ももをマッサージしたとき、垢ができたことを思い出した。
この体臭は欧米人の体臭に似ていた。
欧米人はシャワーを浴びるのは週に数回だと澤村さんから聞いたことを思い出した。
そういえば旅をしてドミトリーに泊まったときに思ったことがある。欧米人はいつシャワーを浴びるかということ。彼らの臭いのもとが納得できた。

この地域は村が近いのか、子どもたちがたくさん集まってくる。
めずらしそうに近づいてくる子
物欲しそうに近づいてくる子
強引に物を取ろうとする子
たいていの子は、ペットボトルの容器を欲しがっていた。
ここでは水を入れる容器が大事なようだ。

山の登り下りをがんばってやったためか、それともマルコとの一緒に走ったとき、少しペースを上げたためか、右太ももに筋肉痛を感じはじめた。
疲労感からかちくちくするような痛みだ。
しかし、毎日走っているのに、次の日まで筋肉痛を引きずらないのが不思議だ。
やはり砂地のせいだろうか。
CP2まではジョグを重ねて筋肉が硬くならないようにする。

昨日は歩くだけで足裏からズキズキと痛みを感じていたのに、今はまったく感じない。
回復力がすごいのか、痛み止めを2錠飲んだからか。
たぶん、薬が効いているのだろう。
しかし今日は足の右親指の先端を石にかなりヒットしているので、つめからの痛みを感じる。
ペースをあげるたびに石にヒットし、歯を食いしばっていた。
疲れからか、足があまりあがっていないのだろう。
足の運び方に注意が必要だ。

砂漠の砂には、黒や白、赤茶色などさまざまな色がある。基本的にはローズサンドと呼ばれる赤茶色のようだ。
盆地に見えるこの地面の砂は湖の底だったのか、粘土質のようであり、ぼろぼろしていて足にまとわりつき、疲労している足に追い討ちをかける。

オーバーナイトの夜間ステージでは砂地は硬く引き締まっていて、地面を踏んでも砂が崩れることはなく、蹴って走ることができた。
気温が低くなると砂地は硬くなるのかもしれない。
気温が高くなるにつれ、砂が崩れやすくなる。

足の痛みにはいくつかある。
石を土踏まずで踏めば痛くないが、小指や親指で踏んでしまったときは痛い。
親指の構造上、肉よりも爪が前に出ているのでつま先が石にヒットすると声が出るほど痛い。
シューズのかかとが石に引っかかると、足が中で前方へ滑り、シューズの中で爪の先端がシューズの内側に当たると、これも声を上げるほど痛い。
指先の上部が石につまずいた場合、バランスを崩すとともに爪の上側が石にヒットするので、これも声をあげるほどいた。
一番痛くないのは砂地だ。砂地は足にやさしい。

そういえば、昨日は爪根あたりの上の皮膚が腫れていた。爪の先端をヒットしたことで出来たに違いない。そこにメスを入れると、濁った液体が出てきた。気持ち悪かった。

そうしているうちに、緑豊かな畑が見えてきた。
砂漠の突然現れる緑の畑。
稲のようなねぎのような。
ここに住む人たちが農業をしているに違いない。
こんな砂漠でも農業が出来るのだ。
こうなるには、さまざまな苦労があるのかもしれない。
この緑は一時かもしれない。
水はどこからか。
雨水なのか?
井戸水なのか?

人間は緑なしには生きられない。
砂漠の景色より、緑の景色のほうが落ち着くのは、緑豊かな国で育ったからだけではない。
そこには過去・現在・未来があるのだ。

CP2に着いた。
世界で一番おいしいコーラ
テントに戻り、横になって、オーバーナイトステージのことを思い出していた。
足の痛みに耐えながら一晩中歩き続け、翌日の夜明け前のすばらしい景色を背にしてゴールしたんだな。
砂漠の夜明け前。先に上った東の空の三日月を追いかけるように太陽が気配を見せ始めた。あの明けの景色は二度と忘れない。
それにしても昼間は本当に暑い。
砂漠の日中がこんなに暑いとは思っても見なかった。
走るなんて本当にクレイジーだ!

そんなときこんな話になった。

「コーラってサハラマラソンの恒例行事だよね?今年もコーラ、出るの?」

「いやコーラは毎年恒例ではないらしい」

「プレスにも情報はないな」

「世界一おいしいコーラを飲ませてくれ~」

などと話をしていると、会場にアナウンスだ。
意味は聞き取れなかったが、どうやらテント村中央でなにか起こるみたいだ。

午後3時ごろに、人の動きに合わせて歩いていくと、
戻ってくる外国人がコーラを手にしているではないか!!

テント村の中央でサハラマラソンのスタッフがコーラを配っていたのだ!!

遂に念願のコーラのおでました!

「おお!コーラだ!!

世界一おいしいコーラだ!!」

最高のご褒美だ!!

コーラを手にしたら、さらに満面の笑みがこぼれた!

テントに戻り、テントの中で日本人選手全員が車座になって、
お互いの健闘を祝福だ!

「乾杯~!!」

オーバーナイトステージを終えた達成感と安堵感。
そしてゴールが見えてきたことで、美酒ともいえる最高のプレゼント。
全員の笑顔は最高にすばらしかった。
一口、口に含むと、口の中でシュワシュワして気持ちがよく、また甘みが身体に染み渡った。
これが世界一おいしいコーラなのだ!
ここで明日のフルマラソンステージへの決意を新たにした。

夕方になって、サハラマラソンDVDのビデオ撮影を選手ひとりひとりするとのことで、日本人全員が呼ばれた。

「サハラマラソンの説明会のときに、事務所で流れていたDVDの映像にオレも出るんだ!」

うれしかった。
いざ自分の撮影になった。時間は特に決まってないらしい。
なにをしゃべろうかぜんぜん考えてなかったので、
ビデオレターのつもりで足の痛さのことをしゃべった!

満足してテントから出てきたところで、自分の名前を言い忘れたことに気が着いた!

あたりも薄暗くなってきたので、夕飯の準備だ!
今日は本当に戦士の休息だ!

調理用に持ってきた固形燃料はあまり使ってなかったので、荷物になっていた。
そこで夕飯から積極的に使うことにしよう。
毎朝、冷たいご飯を食べていたのだけど、
朝にも燃料を使うことにすればあたたかいご飯も食べられるので、
気分転換にもなっていいな!

日が暮れたころ、車がテント村の中央に横付けになっていた。
そして大会のサハラマラソンビデオ上映会がはじまった。

初日や二日目の映像が流れた。

あそこを乗り越えて、ここまで来たんだな。
あそこがあるから、今ここにいられるんだな。
あのときはがんばってたな。
でもだいぶ景色を忘れているなあ。
とても昔のようで懐かしかった。
戦士の感動の休息日
4月3日(サハラマラソン:ステージ4:2日目)

サハラマラソンのオーバーナイトステージでへとへとになった。
早くテントに行って横になりた。

そう思ってテントに向かおうとしたら、テントがないとスタッフに言われた。

なんで???

その代わりにスタッフ事務用のテントを案内され、そっちに向かった。
テント村よりの近くにあったので、ちょっと得した気分だ。

テントには他の選手たちがすでにシュラフで寝ていた。
みんな同じようにゴールしてきたんだな。

いざ、テントにあがると疲労で身体がとても重い。
足も硬直している。
しゃがみこむところから一仕事だ。

身体が不自由になったので、スローモーションで寝る準備だ。
シュラフを出すのにも一仕事。
動くのが嫌になってきた。

寝る準備だけで30分くらいかかり、ようやく目をつぶることができた。

まわりが明るくなって目が覚めた。
寝たのは1時間ほど。
寝始めたのが6時前だった。

さっそく起き上がると、先に寝ていた5人ほどの選手はすでにいなくなっていた。
代わりに、となりのテントの韓国人選手がいた。
彼の足を見ると、マメができたところから紐が数本出ていた。
「それはなんですか?」
と聞いてみると、
「これは韓国式のまめの直し方です。早く治ります」
と答えてくれた。
マメの脇に貫通穴を開け、こよりのような紐を通し、端はマメの外側に出しておく。
そうすると、マメにたまる水分が紐を伝って、外側へ移動し、乾燥するというわけだ。

そんな話をしていると、遠くから松永さんとみさこさんが歩いてきた。
手を振って声をかけたら、見つけてくれてふたりと喜びの握手だ。
知った顔に会うと、とてもうれしくなる。
ふたりはずっと応援をしてくれるので、顔を見るたびにほっとされてくれた。
テントの事情を話すと、仲間たちがどこにいるか探しにいってくれた。
ふたりが帰ってきて、一緒にテントに向かおうとテントから立ち上がった。
足がさすがに筋肉痛で辛い。。。。
二人に荷物を持ってもらい歩きだすと、向こうのほうから知った顔が歩いてきた。
あれ~??のりちゃんだ。
また元気に再会できてうれしいのだけど、なんで?
ひょっとしてこんなに早くゴールしたの?
頭に浮かんだ疑問。

彼女はいつもどおり、とても元気。
リタイヤしたと語ってくれた。
とても前向きなリタイヤだったそうで、このことを前向きに捕らえていた。
彼女はCP2からCP3に向かう峠越えですでに日が落ち、暗闇で道に迷い、2時間ほどさまよった。
とても心細くなってふえを吹いたりしたそうだ。
へとへとになったときに、後方からラクダとベルベル人が追いついてきて会うことができた。
ここで気をとりなおしてCP3を目指そうとしたが、ラクダに出会ってほっとし、緊張の糸が切れたようで、精神的にも体力的にも消耗したことを自覚してしまい、リタイヤをすることを選んだ。
照明弾を打ち上げようと何度も試したがうまくいかず、ベルベル人に頼んだそうだ。
そうしたらベルベル人も打ち上げることができなかった。
仕方なく、力を振り絞って打ち上げることに成功した。
しかしその勢いでベルベル人は驚きで飛び上がったそうだ。
そうすると大会の車が迎えにきたそうだ。
彼女の話している表情は興奮さめやらぬ様子で、また実に晴れ晴れしていた。
ただ足のまめは痛そうだった。

のりちゃんは事務所に寄ることになっていたので、松永さんとテントに戻ると、三宅さん、関さん、澤村さん、寛平さん、林さんが休んでいた。
みんなとがっちり握手だ。
ようやくここまでこれた。
みんなやり遂げた実にいい顔をしていた。
それぞれのストーリーがあったんだ。

自分の報告をしたあと、のりちゃんのことを話した。
みんなは驚きとともに、落胆や同情の表情に変わってしまった。

自分のテントの中でようやく座ることができた。
やはりこのテントが一番落ち着く。
おなかがすいたので、食事を食べた。
今日はごろごろ過ごそう。

のりちゃんが帰ってきた。
みんなで彼女を囲んで労をねぎらった。
彼女は元気に来年も出るわよ!
と宣言するほど強気な発言が多かったが、完走したかったと遠くを見つめながら漏らしたときの表情が悔しそうだったけど、やっと本音を言えたという安心感からか、やさしい顔になって。
俺は完走する決意を新たにすることができた

自分の興奮がさめないのか、眠ることができず、洗濯をすることに。
テントの中で過ごしているのだが、日中はめちゃくちゃ暑いことを実感した。
こんな中で走っているなんて本当にクレイジーだ。

今日、一番したいのはクリニックにいくことだ。
オーバーナイトでたくさんの選手がぼろぼろになっているので、早く行っても混んでいるのは目に見えている。
今日は時間がたっぷりあるので、時間を置いてからクリニックに行こうと決めた。
ステージ後半から筋肉疲労で足が上がらなくなり、瓦礫や石へ足の指を強打するごとに親指に激痛がはしったのだ。
爪がはがれ、中に水がたまっていたに違いない。
巻いてあった包帯はところどころ赤く染まっている。
自分で恐る恐るはずしていくと、がんばった俺の両足が現れた。
足全体が黄ばんでいる。
水がたまってところどころ白くなっている。
さわってみると、膿んだ液体が流れてきた。
すると、どこから出てきたのか、ハエがそれにたかってきた。
一匹、二匹、三匹と増えてきた。
初日にクリニックで並んでいたとき、前にいた外国人の靴擦れ跡にハエがたかっていた光景が、自分にもあらわれたのだ。
気持ち悪さに、ハエを追い払い、すぐにクリニックに行こうと決めた。

さっそくクリニックに行くと、気のよさくて人懐っこいおっちゃんドクターが手当てしてくれた。
彼の名前はアダムス。彼もまたフランス人だ。
熱線の半田ごてのようなもので爪に穴を開け、メスで穴を広げて水を抜かれた。
熱線が爪を貫通して下の皮膚に触れたときには今までに感じたことのない激痛が走った。寛平さんのテレビクルーがカメラを向けていたが、この治療だけはあまりに痛そうで撮れないと言って、撮影をやめてしまった。
なお帰国後、両足の親指と小指の爪はすべて剥がれた。

多くの選手が休息日となったこの日。
余分になる水で水浴びをする選手がたくさんいた。
関さんもまた水浴びをした一人。
テントから50mくらい離れ、そこで素っ裸になった。
そして頭からペットボトルの水をかけ始めた。
ここは砂漠。
さえぎるものはなにもない。
我々のテントのみんなが見ているだけでなく、他のテントの選手にも目に入る。
ひきしまった身体で、気持ちがいい様子が伝わってきた。
そのあとがすごかった。
突然、素っ裸で仁王立ちをするやいなや、ストレッチをはじめたのだ。
灼熱の大地で、戦士の休息。
青い空と赤茶色の砂地、そして地平線をバックに陽射しを浴び、輝いていた。

昼前に、水4.5リットルをもらいに行った。
そこで配っていたフランス人スタッフに笑顔で名前を呼ばれ、
「俺を覚えてるか?」
と声をかけられた。
はじめは思い出せなかったけど、ステージ3のゴール後にクリニックの前で話をしたスタッフだった。
妻が日本人だって言ってた彼だ。
名前を忘れてしまっていたのだけど、がっちり笑顔で握手できた。
覚えてもらっているのって、うれしいな。

昼になると、昼ごはんの時間だ。
今日の昼食分のアルファ米100gをオーバーナイトの夕食にまわしたので、オーバーナイトの夕食200gがあまっていると思っていた。
おかしい。
数があわないかも。
最終日までの食事の数を確認したところ、1食足りないことがわかった。
そういえば多いと思って家に置いてきたアルファ米200gがあった。
必要なものだったのか。

持ってきた食糧は、レース中の消費カロリーを考えての食事量だった。
今日の昼間は寝て過ごしてもいいし、食べなくても大丈夫だろう。
 ということで、まわりが昼食をしている中、寝転んで目をつぶって休んだ。

昼を過ぎて、最終ランナーがゴールに向かっていると会場にアナウンスが流れた。
アナウンスの内容はわからなかったのだが、村上さんがまだゴールしてなかったので、関さん、澤村さん、林さん、山崎さんとでゴールに見にいくことにした。
そうすると、疲れ果てた大勢の選手たちがテントから這い出し、足を引きずりながらゾンビのようにゴール前に歩いていくのだ。
足を引きずりながらゾンビのようにテントから這い出したたくさんの選手が最終ランナーを迎え入れるためにゴールへ歩いた。
ここは野戦病院か?
リュックの肩のベルトが擦れてできた肩の擦り傷。
腰ベルトがすれた腰の擦り傷。くつずれによるかかとの擦り傷。足のまめ。
上半身裸のサンダル姿で足をひきずっていたり、びっこをひいている。みんな立っているのがやっとではないか。

一体なにが起こるのか?
そして、ゴールの前に集まった大勢の選手たちがゴールまでの道を空けて列ができた。
遠くからランナーが来たようだ。
くみちゃんなのか?
これが最終ランナーなのか?
くみちゃんもリタイヤなのか?
そんなことを仲間と話した。
遠くに姿が見えた。
最終ランナーが来た。
ふたりいるようだ。ひとりはベルギー人のようだ。
そうすると、ここのやつらが精一杯、あたたかい拍手や喝采をしはじめた。
指笛も吹いた。
姿が確認できるようになった。
日本人だ!くみちゃんだ!
あの色のウェアはくみちゃんだ!
くみちゃんもゴールだ!
僕らは笑顔でよろこびを共有した。
最終ランナーのがんばりにうれしかった。
拍手喝采している選手たちを見ていると、涙があふれてきた。
涙が自然に頬を流れてはじめ、とまらなくなった。
ひくひくいいはじめた。
同じ距離を走りきった仲間たちが、その痛みや喜びを分かち合い、自分のことのようにはしゃぎながら声援を送っている。

 選手だけがこの道のりの大変さを共有できるのだ。
でもどうしてみんなそんなに応援できるんだ。
どうしてこんなにあったかいのだ?
最終ランナーが日本人だから俺たちはゴールまで見にきたんだ。
なのに、お前らはなぜそんなにやさしいのだ?
感動して涙が止まらなかった。
共に難関をゴールした者だけが共有できる運命共同体のような雰囲気が生まれていた。

日の出とともにオーバーナイトが終わった
マークとふたりで暗闇をヘッドライトの明かりを頼りにすすんでいく。
マークは歩き。
おれは軽いジョギングだ。
進みだすと、身体があたたかくなってきた。
ウインドブレーカーを着込んだ身体が熱を逃がさなくなった。
額から汗がにじんできた。
背中が汗ばんできた。

ウインドブレーカーのジッパーを下げて、冷気を入れた。
気温はだいぶ下がっている。

お互いの荷物の重さについて話した。
彼の知人はこのステージは後発。つまり足が早い。
その彼が言うには、バックパックの重さは9キロ以下にしなさいとのことだったそうだ。
マークはそれを守っていた。
おれのバックパックは12キロだった。
このサハラマラソンは重さが命取りなんだな。
重さは食糧に負うところが大きい。
軽量で高カロリーの食べ物が大事だ。
ナッツ類がそれに見合う食品だと言い、カシューナッツを持ってきていた。
歯ごたえもあるし、食べてる感がいいんだよね。

このころからマークと冗談を言い合う仲になっていた。
あのレーザは宇宙人だとか。
映画のセットだとか。
タイムマシンだとか。
そんなことで気を紛らわせていた。

このあたりからゴールへの到着時間を話すようになっていた。
このままなら2時くらいか。
このとき、我々はCP5の次がゴールだと思いこんでいた。

CP5に到着した。
59キロだ。
ゲートでマークがフランス語でスタッフを話をしていた。
どうやら次はゴールではない。
CP6があるそうだ。
CP5の次はゴールだと思っていた我々に対し、CP5のスタッフは容赦なく現実を突きつけた。
二人とも落胆の色を隠せなかった。
まだCP6があるのかあ。

ふたりとも身体はかなり疲労していた。
足の筋肉も硬くなったきている。
ふくらはぎがだいぶ張ってきていた。

ようやくCP5についた。
ゲートの前では焚き火をしていた。
寝袋を出して寝ている選手も見えた。

お互いにしゃがみこんで休んだ。
どうする?
寝ないでいこう。
そんな会話をした。
軽量化に必要なカシューナッツをわけてくれた。
うまいなあ。

そうしているうちに、汗が冷えてきた。
寒すぎる。
ここままでは風邪を引いてしまう。
防寒用に夜に来ていたアンダーウェアをバックパックから出し、Tシャツから着替えた。
あったかい。

さて行くか。
彼に声をかけて立ちあがろうとした。
立てない。
太ももが動かない。
太ももが硬直している。
悲鳴をあげているのだ。
筋肉痛が起きている。
力が入らない。
なかなか立ち上がることができない。
ようやく立つことができたが、立っているのがやっとだった。
足が震えている。
ふらふらだ。
バックパックに入れた、空きペットボトルを捨てに10mくらい離れたゴミ箱まで歩いていけない。
膝が曲がらないのだ。
それを見ていたマークが代わりにゴミを捨ててくれた。
ありがたいな。

CP5を出るとき、仲間がひとり増えた。
陽気なフランス人のようだ。
行動食を俺とマークにわけてくれた。
スニッカーズのような食べ物だった。
外国人はこういうものを食べているんだなあ。
CP6からは緑のレーザーは出ていない。
500mごとにある蛍光スティックと、前を行く選手の光が頼りだ。
しかし、我々の前方に選手の姿は見えなかった。

さらにここは砂地ででこぼこしていて、タマリスクの木々がある。
500mごとの目印が見えにくいのだ。
すぐに道先案内の蛍光スティックも見えなった。
不安が胸をむしばんでいく。

合流した彼は、こっちだと自信満々に違う方向を指して歩き出していた。
俺をマークは足をとめた。
俺はバックパックからマップとコンパスを取り出した。
はじめてコンパスを使うことになった。
使うことができて、ちょっぴりうれしい。

マップを見るとCP5からCP6まではまっすぐなルートを示していた。
方角は283度の方向だ。
コンパスで確認すると、CP5から来た方角であっていた。
気まずくなったのもあるのか。
後ろから来た6人くらいの集団と一緒にいってしまった。

ほとんど無口だ。
聞こえるのはお互いの足音と息使いだけだ。

川原のような「ごろごろ石」地帯に突入した。
お互いに足裏のまめがつぶれていて、石に足をぶつけてときどき悲鳴があがる。
あちこち岩ばかりが転がっているので、足を踏み出すごとに、どこへ着地したら足が痛くないか、瞬時に見極めなければならず、その判断に頭の中が忙しくなり、ちっとも気が抜けない。

痛みに対して「痛い」と言って嘆いているだけでは先に進めないのだ。
これは自分の目指すゴールに対する試練なのだ。
妥協することもなく、逃げることもなく、進むのだ。
でも決して強情になってはいけない。
この過程を楽しみに変えて乗り切っていくのだ。

これがマラソンであり、人生なのだ。

いくら歩けどゴールの光は見えてこない。
夜中のウォーキングでは、景色は見えず、目による癒し効果も期待できず、ひたすらまっすぐの単調な道が続く。
日本の霊峰富士も森林限界を超えてしまうと、あとはがれ場の連続。
心を惑わされず、神聖なる気持ちを抱きながら、ただ黙々とゴールを目指す。
目を奪われるものがないので、心のなかには、ふとした光景がよみがえってくる。
いつしか自分の歩いてきた道を見つめていたりする。

たとえはるか彼方であっても、人は目指す地点が分かれば、ペース配分に工夫を凝らしたり、最後の力をふりしぼったりもできる。
苦しい道のりを最後まで歩きとおすには、明確なゴールという目標が不可欠だ。
川を下っていくなら、沈まずに流れに身を任せていればいつかはゴールに漂着する。
ここでは足をとめなければいつかはゴールすると信じて進むだけだ。

ときおり、マークが立ち止まり、膝に腕を当ててからだを支える。
その顔は辛そうだ。
バックパックが肩にずっしりと食い込んでいて、重いのだろう。
肩が擦れているに違いない。
「セボ?」
声をかけてみた。
力なく声が帰ってくる。
「もうちょっとゆっくりさせてくれ」
そうだよな。辛いよな。

ようやく彼は力を振り絞って身体をおこし、歩きはじめた。

CP6を過ぎ、次はゴールだ。
オーバーナイトステージのゴールだ。
東の空が薄明るくなってきた。気温も低い。
自然と会話は少なくなる。
ただ早くゴールにたどり着きたい。

しかし、足の痛みは正直だ。
おれが痛みで足をとめると、足をとめて待ってくれて、
そして、彼が背中の痛みで足をとめると、俺が待って声をかけた。

自分の体力を見極めようとする行為は、己の弱音と綱引きでもある。
たとえ一人だろうと、その綱引きは絶えず心の中で続く。
小高い砂山がでてきて、タマリスクの木がその上に生えていた。タマリスクが流動性の砂の流れを止め、木の根元に溜まった砂の上にタマリスクが押し上げられる現象が繰り返されるようだ。

そんな地帯を過ぎ去ったあと、ゴールが見えてきた。

チェックポイントが見えたときは、
広告の看板だったら?
映画の写真だったら?
宇宙人が迎えに来てるのかも?
なんて冗談を言いあった余裕はそこにはなかった。

ゴールが見えてきてからが実に長い。
歩けば歩くほど、ゴールが離れていっているのではないかと思ってしまうほど。
それほどゴールが近づいてこない。
地平線の真ん中にあるゴールは人間の距離感を無能にしてしまうに違いない。

後ろを振り返ってみた。
東の空が明るくなってきていた。
その先に月が出ていた。
ぼうっと光っていた。三日月だ。下弦の月だ。
先に、お月様が昇っていたのだ。
月の砂漠とは、なんと幻想的なことか。
このお月様が、最後の勇姿を見守っているのだな。
とってもあたたかい気持ちになった。

そしてすぐあとに陽が登るに違いない。
「本当にオーバーナイトステージになったな」
マークに声をかけると、彼は笑って親指を立てた。

ゴールは必ず近づいていると信じ、集中力を切らすことなく、もくもくと進むのみだ。
そうしていると、わずかだがゴールが大きくなってきた。
このわずかな変化を感じることがどれだけうれしいことか。
あとどれくらいの距離かなんて関係ない。
ゴールが我々の目の前に現れるそのときまで、歩き続けるだけだ。

いよいよゴールが現実のものになってきた。
スタッフがこっちに声をかけてきた。
「アレアレ!」(ゴーゴー)

お互いに走る気力はなく、ひたすら歩き続け、そしてゴール。
ゴールで迎えてくれたスタッフに向かって、喜びのあまり飛び込んでハグした。
彼もまたその喜びを一緒に喜んでくれた。
そして一緒にゴールしたマークとハグした。
またお互いに力強い握手を交わした。
「君にあえて、本当にハッピィだった。ありがとう」
俺はこの言葉を彼に伝えたくて仕方がなかったのだ。
本当にありがたかった。
こう告げると、目に涙がたまった。
目をそらして彼にばれないようにごまかした。
そしたら彼がハグをしてきてくれた。
本当にありがたかった。

リタイア21名
暗闇を駆け抜けて
偶然にも、サハラマラソン大会側の車がとまっているところで、彼は足をとめてなにやら話をしていた。

「そのまま話を続けていてくれ。
そうすれば追いつくことができるから
そしたら写真を撮ってください」

そう思っていると、追いつくことができた。
一緒に写真を撮ろうと声をかけると、彼もまた喜んでくれた。
そしてまたお互いのペースで別れた。
彼とはまた会えるに違いない。
そう確信できた。

彼と別れ、彼がなぜおれを呼び止めたのか、物思いにふけてみた。
このオーバーナイトステージは暗くなっても走る選手がほとんどだ。
できれば俺は暗闇の中を走りたくなかった。
夜は寒くなるだろうし、道に迷ったらと思うと不安でたまらなくなる。
隣国アルジェリアの病院のベットで見つかった選手も過去にいたと聞く。
また仲間ができずに、ひとり孤独で暗闇を進むと思うと恐怖だった。
だからこそ陽があるうちに、できるだけ先に進みたかった。

しかし早くゴールすればいいというものではないのだろう。
ふと同じテントで最高年齢選手の飯田さんのことを考えてみた。
彼女は、いつも真っ暗になってからゴールしていた。
ゴールで彼女の迎えるたびに、気温も下がって寒くもなるなか、毎日遅くまで走って大変だなあとしか思っていなかった。
しかし、彼女はたくさんの人と交流し、たくさんの素敵な景色を存分に味わっているのではないだろうか。
遅くなるごとに、心がとても豊かになっているのではないだろうか。
今見ているこの景色に対し五感を使って最大限に楽しむことができれば、それはなにものにも変えがたい貴重な財産になるのではないだろうか。
早くゴールに着いてビバーク地点の景色を見るのもよいが、がんばっているときのこの景色を見ているほうが何倍も価値があるのではないだろうか。

もしかしたら人生もこういうことが言えるのではないだろうか。
急いで結果を出す楽しみもあるが、大事なのはそこのたどり着くまでの過程であり、その過程こそが最高の財産になるのではないだろうか。
また心の豊かさとは、過程をいかに感じるかにあるのではないだろうか。

そう思うと、仲間ができずひとりぼっちで暗闇を歩いてもいいと思い始めていた。
そうなったら、その現状を受け入れて、そのときの感情を感じてみよう。

彼に会う前に比べ、気が軽くなり、身体がものすごくゆるくなっていくのがわかった。
この雄大な眺めはすごいな。
このような風景が見られることに本当に感謝だし、夕陽に映えるこの景色は涙が出そうになるくらいきれいだ。
しばし疲れを忘れ、感傷的になった。

そういえば、ドイツに住んでいる三宅さんから、ドイツ人の仕事に対する考え方をテントの中で聞いたことを思い出した。
「日本人は仕事が忙しいとプライベートを我慢するけど、ドイツ人はプライベートが忙しいと、どんなに仕事が忙しくても休むんだ。」
これもまた心の豊かさなのかもしれない。
 

このあたりから、蛍光スティックがコース上に現れはじめた。
コースは急激に左に折れ、そしてふかふかな急な砂地を降りはじめた。
これは夜中にはわからないよ。
蛍光スティックも見当たらない。
まず道に迷うな。
明るいうちに通れてよかったなあ。

山を降りると、ふかふかの土漠地帯で、ゆるやかな傾斜地を下っていた。
正面に夕陽が見え、すでに熱さはなく、すがすがしい夕方になっていた。
時間は6時30分だ。
夕陽を追いかけながら走った。
もうすぐ陽が沈む。
とても素敵な景色だ。
こんなきれいな夕陽をこの場所で見ることができるなんて本当に幸せだ。
応援してくれているみんなに本当に感謝をしたい。
いまこの場所にいられるのは、応援してくれてるみんなのおかげだ。
本当にありがたい。
感謝以外に思いつかない。

そして、サハラマラソンのメインイベント「ナイトステージ」が開幕するのだ。

こうなったら、暗闇での自分を受け入れよう。
たとえ迷ってもいいじゃないか。
ひとりで寂しくなってもいいじゃないか。
すべてのそのときを受け入れよう。
怖いものはなにもないんだ。
俺は空と大地とつながっているんだ。
そう思うと、身体が不思議と軽くなった。



すでに陽は山並の影に姿を隠し、夕闇が駆け足で追い抜こうとしていた。
CP3で大会側から配られた蛍光スティックを準備する。
後続のランナーの道しるべにするためだ。
スティックを貰うときに説明を聞いていたのだけど使い方が思い出せない。
どうしようか。
そうだ、他の人に聞いてみよう。
もしかしたら暗闇の中を一緒にいけるかもしれない。
ちょうどすぐ後方から選手がやってきていた。
足をとめ、さっそく彼に声をかけてみた。
「蛍光スティックの使い方、わかりますか?」
彼は足をとめ、俺のスティックをまざまざと眺めた。
そして、勢いよく折り曲げた。
すると、スティックの中の液体に化学反応が起きて光を放ちだした。
「ありがとう!」
さっそく彼は俺のバックパックの後ろに取り付けてくれた。
また彼も蛍光スティックを取り出すと、折り曲げで光らせた。
今度は俺が彼のバックパックの後ろに取り付けた。
そしてついに夜に追いつかれて、薄闇に囲まれた。

彼はヘッドランプをさっそくつけた。
俺も用意しようと、バックパックから取り出した。
そしていざスイッチを入れると、なぜか電気がつかなかった。
顔から冷や汗が流れた。
焦った。
故障か?
この暗闇をゴールまでライトなしでは歩けないよ。
前日に、三宅さんが電池をなくしていた。
バックパックから取り出しやすいところにライトを入れたので、知らずにスイッチが入ってしまったとのこと。
俺にも同じことが起きたのだ。
しまったな。
彼にお願いして、彼のライトでCP4までいけないかな。
しかし、まだやれることはありそうだ。
予備電池を持ってきている。
故障じゃなければ大丈夫。
ただ電球が壊れていたら終わりだな。

そう思い、薄闇であたりが見えないところ、手探りで電池をつかめた。
落とさないように慎重に取り出せた。
次はヘッドライトから電池交換だ。
小型のヘッドライトなので、作りがやわい。
手元が狂ってヘッドランプを壊さないように注意しながら電池をなんとか交換できた。
遂に緊張の瞬間がきた。
スイッチを入れた。

次の瞬間、ぱっと明るくなった。
いつも見慣れた光が現れたのだ。
よかった。
やはり取り出しやすいようにヘッドライトを外ポケットに入れていたので、なんらかの拍子に電気が入ってしまって電池がなくなったのだな。
砂漠に入った初日から省エネでライトを使っていたので、このナイトステージの途中で電池がなくなったかもしれないので、ちょうどよかった。
これなら朝までかかったとしてももつだろう。

ライトがようやく点いたので、あらためて彼と言葉を交わした。
彼の名はマーク。カナダ人で46歳。テントNo.46だ。
写真やジャーナリストとして、仕事をしているそうだ。
結婚していてお子さんもいる。
カナダでは、氷点下の雪景色の中、トレーニングを積んできたそうだ。
しかしマークもまた足裏にまめができて痛いそうだ。
まめのことを、英語で「ブリスター」という。
この大会では、この単語が一番使われるかもしれない。

ヘッドランプを点灯させると、周囲の暗さが返って目立ち、ライトに照らされた部分の足元しか見えなくなった。
ここからはヘッドランプの明かりだけがたよりだ。
夜空に星が輝いているが、新月なのか月は出ていない。
本当に真っ暗だ。
遠くに明かりが転々と見える
コースとは違う方向なので、人が住んでいるに違いない。
選手を導くために、CP4から緑のレーザー光線が虹のように放射されている
満天の星空の中、空を渡る光の帯。
とても幻想的だ。
CP4までは迷うことはないだろう。
足元だけが注意だ。

風は弱くなり、気温はますます下がっていた。
地面が硬い。
ここは塩湖平原だ。
まっすぐ走るだけなのだが、おれにとっては難所だ。
難所にかかれば己の弱き心を知らされ、ついつい昔のつらい経験へと連想は広がっていく。
CP4がまた遠いな。
光はいつになったら近づいてくるんだ。
でもレーザー光線はなぜまっすぐこちらに光を放たないんだ?
CP4からCP5にいく方角なのかもしれないな。

CP4まではマークと一緒に話をしながら進んだ。
彼は歩きで、俺は走り。
これが同じ早さなのだ。

彼との会話で、このひたすら長い直線は助かった。
そしてCP4が小さな小山に出てきた。
46.5キロだ。
ここを夜中の1時までに通過すればよいので安心した。
ここで夕飯だ。
マークと座れる地面を探して、一緒に座った。
おれはCP3で用意したご飯をさっそくだした。
さすがにご飯は冷えていた。
彼はパスタに水を入れ、完全じゃない状態でばりばり食べていた。

だいぶ気温冷えてきたので、防寒着も用意だ。
ここではたくさんの選手が食事をしていた。
ヘッドライトの光だけを頼りに食事だ。
大会パンフレットにあった写真と同じだ。
おれもあの写真と同じなんだ。
そう思うと感慨深いものがある。
テントで仮眠している人もいるんだな。

CP4を出ると、また緑のレーザーに向かって歩いていく。
CP5へはまっすぐだ。
腹ごしらえもすみ、元気回復。
がんばっていくぞ。

map4c
サハラ砂漠のメンター
CP1では山崎さんと寛平さんにあった。
山崎さんとは、急斜面をのぼったことで共感しあった。
本当にありがとう!

CP1を過ぎると、次はだだっぴろい平原だ。
また荒野の真ん中を走るルートだ。
これもまたサハラマラソンの特徴だ。
さえぎるものはなにもない。
空は雲ひとつないいつもどおりの快晴。
後方から強い風が吹いていて、背中が押されるほど。

地面には小さい石がごろごろ転がっているが、それほどごつごつしていない。
車の走ったわだちには特に石は少ないので、そこを選手は走っていた。
太陽にさらされながら、黙々とジョギングペースで進むことにした。
寛平さんが後ろからやってきた。
「熱いな~」
「そうですね~」
そんな会話をし、並走したかと思うとあっさりと抜かれてしまった。
リズムよく飛ぶように走っていった。

CP2は平地を渡った先の山のふもとに違いない。
サハラの平地は山々に囲まれた盆地のようなところだ。
だから、余計に熱いのかもしれない。
遠くのほうに竜巻が発生し、迷走しているようだった。
気温がだいぶあがったな。
昼夜の寒暖の差がこれほどあれば、竜巻が発生するのは当然だ。
強烈な熱上昇風が発生している証拠だ。
春先は日本でも熱上昇風が激しくなるので、パラグライダーなど滑空機にはもってこいだ。
ここで空飛んだらすごいことになりそうだな。

岩山の山間にCP2が見えてきた。
23キロ地点だ。
CP2は大きな木々の間にあった。
ここまでは集中力を落とすことなく来ることができた。

CP2を出ると、遅れてスタートしたトップ選手に抜かれた。
本当に走っていた。
早すぎる。

次に、2、3位の選手が追い抜いていった。
目の前に盲目のランナーがいた。
すると、2位の選手が突然、足を止め、彼の肩に手を回し、声をかけ、2、3言の言葉を交わして走っていった。
当然、3位の選手には差をつけられていた。
トップ争いをしているのに、この紳士的な選手は一体なんなのだ。
格好よすぎるではないか。
なお彼は今大会の優勝選手となった。

山間を抜けると、また平地だ。
左手に緑の地帯が広範囲に現れた。
植物が群生しているのだ。
荒野の一部に見られる緑は、目を十分に楽しませてくれた。

この平地は白く、ひび割れている。
ここは塩の平地だ。
太陽が強く照りつける砂漠では、たくさんの水が地中から地面に上がってきて蒸発する。
地球上の大陸はもともと海に沈んでいた。
地中には塩分の混じった水分が残っている。
土の中で水分とともに塩分も上がってくるので、水分が表面あたりで蒸発するので、塩分が固まりとなって残ったのだ。
これが塩類集積だ。
植物の内部は塩分の入った水分でできているので、その根でまわりにある濃度の低い水を吸い上げることができるが、根のまわりにある水分にたくさんの塩分が溶けていると、水分を吸収することができず、しおれて最後には枯れてしまうのだ。
こうして乾燥地には植物が生息できなくなり、砂漠化の原因となるのだ。

そういえば、オレの唇もひび割れてきたな。
日焼けでくちびるがバリバリになってきたたのものな。
ちょっと血の味がするなあ。
出血しているかもしれない。
日焼け止めが汗で流れてしまうのだから仕方がない。

そうしながら進んでいると岩山が近づいてきた。
白い車が見える。
CP3か?
違った。
かなりごつごつした岩山だ。
あいかわらず砂に覆われている山だ。
盲目の選手が前方にいるぞ。
やっぱり足をとられながらなんだな。
岩に足を滑らせながらも、確実に登っている。
峠をこえたらまた下り。
この下りはふかふかの砂地だ。
CP1までの山登りで太ももがかなり疲労しているので、ゆっくり降りることにした。

次もまた平地だ。
砂地にとがった石が転がっている。
足の置き場所を選びながら走る。
あいかわらずCPまで長いな。
平原を歩き続け、ようやくCP3が見えた。34.9キロ地点だ。

ここまで道をまっすぐすすみ、山登りが二つ。砂の山登りが続いた。
トップの選手たちは次々と抜いていった。早すぎる。
時間は16時を回ったところだ。
明るいうちにどこまでいけるのか。
どこから暗闇になるのか。

CP3は平原のど真ん中。
スタッフの数も規模も小さい。
休憩用のテントもぼろだ。
とてもさみしいCPだ。
このステージはチェックポイントが6個あるので、スタッフが分散されているのだろう。
ここで蛍
光スティックをもらった。
折り曲げて発光させ、バックパックの後ろにつけるように指示された。
こうすることで後ろのランナーの道先案内人になるわけだ。
とうとうナイトステージがやってくるということだ。
「夜が楽しみになってきた~!」
と心の中で叫んでみたが、不安でたまらない。
ここままだとCP4で夕食だな。
メニューではご飯200gにしたけど、100gがよさそうだ。
翌日の昼にと思っていた100gのご飯に水を入れ、水がこぼれないようにバックパックにしまった。
これで次のCPでご飯が食べられるのだ。
ご褒美を作っておくと、気持ちが折れそうになったときにふんばれる。

CP3を17時過ぎに出発した。
太陽はあと2時間で沈むに違いない。
CP3で15分くらい座って休んだせいか、足の筋肉が硬直してしまった。
太ももが筋肉痛になっている。
足が棒のようになっていて思うように動かない。
ジョギングで身体をあたためて筋肉をほぐしながらゆっくり伸ばしていくことにする。
風がかなり強い。
日が暮れると涼しくなるに違いない。


CP3を過ぎたらまた同じ平原を進む。
左の山が近づいてきた。
前方の選手たちが左の山に向かって歩いている。
また峠ごえか。
この山もがればの山だ。
かなり大きな規模の山だ。
また山登りだ。
このあたりの山は峡谷になっている。
まるでグランドキャニオンみたいだ。
山の背中を歩いている。
まるで大地の上を歩くようだ。

陽がだいぶかたむいてきたな。
このペースでいくと夜中にゴールできるか。
がんばってペースを維持して走ろう。


そう思っていた登山中の道で、足をとめて写真をたくさん撮っている年配の選手に
「写真をとってあげよう!」
と声をかけられ呼び止められた。
そして、
「我々にはたくさん時間があるじゃないか。
どうしてみんな急いで行こうとするんだ。
こんな壮大な景色は二度と見ることができないかもしれないんだ。
もっとゆっくり見ようよ!」
と、とても人生を楽しんで生きている人のように語ってくれた。

彼はハイデルベルグに住んでいるドイツ人で、サハラマラソンははじめてとのこと。

ふいに熱い温度を持ったものが自分の内部からこみ上げてくるのを感じていた。
これほどうるおいを持った感情がまだ自分の中にあったのかと思った。

ここはグランドキャニオンのような断崖絶壁な場所で、危険ではあるが、すばらしい景色だった。
俺は脚を止めると、動くのも忘れて夢のようなその光景を見つめていた。
この景色は一朝一夕にできるものではない。
人類の足跡よりもはるかに長い。
数百万年という歳月が少しずつ作り上げていった景観だ。
知識のないものが眺めてみたところで、単なる岩山にしか映らない。
しかし、その裏には大地と雨が織り成す自然のドラマが隠されているのである。
一生忘れることのない光景のひとつになるだろうな。

この大会は経験者が有利にならないように、毎年コースが変わる。
見る景色すべてが二度と見ることができないと思ってみているつもりだった。

そんな考えのできる自分を好きになっていた。

あとは身体との対話だ。
俺の足は歩いたら筋肉が冷えてさらに硬直してしまうので、がむしゃらに走るのではなく、ジョギング程度のスピードで進むことにしよう。

山に隠れようとする陽に向かって、さらに山を登りが続いた。
先行く選手が太陽に隠れて、芸術的だ。

登った山を降りる下る道に入った。
このポイントは実にわかりにくい。
ユーゲンが前にいるから、コースが分かるのだけど、ひとりだったら道に迷いそうだ。
暗闇ではなおさら迷うかもしれない。
のりちゃん、大丈夫かな。

そういえばユーゲンと一緒に写真を撮ることを忘れていた。
彼は俺とあったあと、先にいってしまったのだ。
彼は結構足が早い。
どうしても彼と一緒に写真がとりたい。
俺にとって、彼はメンターだ。
このまま二度と会えなくなるのだろうか。
それもまた一期一会なのかもしれない。
でも、やはり一緒に写真を撮りたい。
また再会したい。

map4b

試練のオーバーナイトステージスタート
4月2日:(サハラマラソン:レース4日目:75.5km)

激しくばたばたはためく音で目がさめた。
テントがサハラ特有の強風ではげしく揺らされている音だ。

あたりはまだ真っ暗。
明け方まではまだまだ時間があるようだ。
砂まじりの強風が顔に吹き付け、砂だらけ。
時間がたつと、さらに激しくテントがはためく音に変わった。
テントの端の方のつい立用の棒が倒れたのだ。
寝付く前は、あんなに静寂だったのに。
これが砂嵐なのか。

そのとき、ふと脳裏に自分の旗のことがよぎった。
入り口に取り付けた日の丸の旗は大丈夫だろうか。
この強風で激しくはためいているに違いない。
みんなに寄せ書きしてもらったこの旗はなんとしてもゴールまで持っていきたい。
しかし、針金を巻きつけたあの取り付け方だと飛んでいってしまうかもしれない。
寝袋から這い出して回収しようか。
しばらく考える。

いや、この日の丸はみんなの想いが詰まっている。
そう簡単に飛んでいってなくなるものではない。
たとえ飛んでいったとしても、絶対に俺の手の戻ってくる。
おれが信じてがんばっていれば、離れていくことはないのだ。
そう信じるのが俺の役割だ。

次の瞬間、
「がちゃがちゃがちゃん」
テントの支柱が倒れた音だ。
テントが潰れたのだ。
頬に何か冷たいものが触れた。
テントの生地だ。
テントが潰れて冷たい生地が顔に触れているのである。
同じようにテント全員が声を出し始めた。
みんな目を覚ましていたのかもしれない。
「テントどうしましょうか?」
「ベルベル人来るか、わからないですしね」
「このまま寝ちゃいましょうかね」
この嵐の中、われわら素人がテントを修復には大変だ。
また明日のレースもあるし、今はしっかり休んでおきたい。
そんな思いがみんなにあったのか、そのまま寝ることに合意した。

そして朝になった。
日の出前に起きた。
 日の丸が気になって取り付けたところを見ると、日の丸がなかった。
どこまで遠くに行ってしまったのだろう。
あのとき、寝袋から這い出して回収すればよかった。
後悔の念が心に落ちこもうとしたとき、三宅さんが
「風に飛ばされると思ったので、回収しておいたよ」
と日の丸を渡してくれた。
よかった。本当によかった。
この日の丸はついている。
 心底うれしくて、飛び上がった。
この旗はゴールまで導いてくれると確信した。
なくなったのは靴下が片側だけ。

ステージ4は75.5キロ。
2日間を通したノンストップステージ。
サハラマラソンのメインとも言えるステージだ。

スタート地点から46.5km離れたところに設けられたCP4まで午前1時までに到着しなければならない。その後は、どこかで睡眠を取ってもよいし、睡眠をとらずにゴールを目指してもよい。
今日は、平均25%勾配の峠越え、そしてCP1。あとは順にCP6まで進んでゴールだ。

map4a


また今日もスタート地点から大音量でいつものハードロックだ。
みんなが準備を終えるなか、俺だけ片付けが遅れていた。
まだトイレに行ってないよ。
そう思って、いつもの野糞から戻ってくると、テントの仲間は移動をはじめていた。
今日一日は長くなるし、準備をしっかりしてからいこう。
第一、スタートだってまだ時間に余裕あるし。
そう思うと、焦る気はぜんぜん起きなかった。

今日のスタートはいつもと雰囲気が違った。
まず、トップ50位まではスタート時間が3時間くらい遅いこともあり、声援を送ってくれる選手がいた。
また今日一日が長くので、お祭りのようであるし、やる気もみなぎっていた。

今日も誕生日の選手をお祝いし、いよいよサハラマラソン、メインステージがスタートだ。

せっかくだから最後方から行こうと、山崎さんと決めた。
一番後ろは、はじめからゆっくりなんだな。
はじめから歩きなんだな。
はじめから歩きだと、ゴールまですごく長いな。

最後尾にはちゃんとラクダが2頭ついていた。

じょじょにペースを上げ、飯田さん、村上さん、宮田さんと順に、併走しながら写真を撮り、ゴールで会おうと握手をかわした。

みんな笑顔で余裕があった。
まだはじめなので当たり前か。
しかし、このステージは山場なので、どこかに緊張感も隠されていた。

そして、みんなとわかれ先に行くことにした。

でこぼこしているふかふかな砂地に入った。
前の選手の影響で、砂埃だらけた。
また足をとられて時折バランスを崩しやすかった。

まばらにある植物を越えると、左手に山々が近づいてきた。
上に行けば行くほど急激な斜度だ。
この山もまた禿山で、岩石が露出していた。
また砂が風に吹き付けられたのか、裾野ほどなだらかに砂が積もっている。

前方に視線を向けると、選手の列はどうやら左手の峠に向かっていた。
またサハラマラソン恒例の山登りだ。
しかし、この峠が平均25%勾配の登り。
サハラマラソンで一番急勾配の登りなのだ。

登りが始まると、そこにはドッチボールくらいの石が転がる砂地だった。
朝に服用した痛み止めの薬が効いているのか、足裏の痛みはない。
しかし、ここで無理すると足裏を悪化させるので、石に足指を強打しないように砂地を選びながら足を運んだ。

登りはじょじょにその勾配を増していった。
サハラ砂漠特有のパウダーサンドをかぶった背の高い岩山に差しかかった証拠だ。
選手も列になり、つづら折りに登りはじめ、走るものはいなくなった。
地面の砂は、その層の厚さから足を踏ん張るともろくも崩れた。
急勾配でこの砂地なので、どの選手もペースは落ち、一歩一歩確実に登っていた。

この山道には砂がどっしりと堆積していて、多くの選手はその縁の岩石地帯を登っていた。こちらがメインか。
しかしメインルートは狭くて1列で登っている。
渋滞していた。

すると渋滞を迂回し、どっしり堆積している砂の上を歩くルートを数人が進んでいた。
このルートはさらに砂が深く、また強風にさらされていた。
転がり落ちると、下まで止まることはないだろう。
かなりきわどいルートだ。
風で砂が舞い上がるのが見えた。

先行する山崎さんがメインルートに目もくれず、そのルートを選んだ。
どちらのルートがいいか。
自分の得たい感情はどっちか。
心臓の鼓動がどきどきした。
きわどいルートに行かずにはいられなかった。

このルートは想像を絶するものだった。
後戻りはできなかった。
風がバックパックを横に押し、身体が倒れそうになった。
身体をできるだけ低くして、あおられないように注意した。
ほとんど手を砂地に着いてのぼった。
こうして絶えず身体を張って風と闘った。
強風の雪山の稜線を登るような錯覚を覚えた。
ここでバランスを崩した落ちれば命はないな。
足場がすり落ちて滑ったらどうなるのだろうか。
嫌でも緊張感が走った。
命がけだ。
足を運ぶと、砂が柔らかいのでふんばりがきかず、ずり落ちる。
ずり落ちる分を考えて、大またで進むしか方法はないか。
一歩一歩、足を進めては、息が切れ、立ち止まって息を整える。
太ももがぱんぱんだ。
そしてまたアタックだ。
分厚い砂の層が足を滑らせ、思うように前へ進めない。
心臓を酷使して、最後のひと登りを何とかこなした。
恐怖に打ち勝った喜び。
そしてやり遂げた達成感。
最高にうれしかった。

岩盤にたどりつくと、メインルートからの選手たちと合流した。
次に滑落防止用のロープが大きな岩盤に横に張ってあった。
歩く場所は分厚い層の砂地。
そこで滑落したら、また命はないか。
前の選手に続いて、両手でしっかりロープを握って俺も横にトラバース。
山頂まではまだあった。
次の登りでもまた分厚い砂の層だ。
今度は上に向かって滑落防止用のロープがのびていた。
ロープをつかみながら砂地に足を滑らせないように両腕で登った。
この岩山は山頂まで砂地だ。
辛かったが、感情の起伏が大きい分だけ楽しかった。
達成したから言える言葉だ。

雄大な眺めは、しばし疲れを忘れさせてくれた。
登りでは、展望の利く風景だけが気晴らしになる。

次はくだりだ。
一見楽に見えるが、下りのほうが実は足への負担は大きい。
レース前半のこの登りでかなり足の筋力を使ってしまった。
太ももがぱんぱんになっている。
ゴールまで気力と体力はもつのだろうか。

砂地の下りを歩き出すと、岩盤に変わった。
この下りもまた急斜面だ。
岩盤の合間を下りるルートだ。
足の踏ん張りが利かなければ転んで岩盤に強打して怪我をする。
捻挫や骨折が起きるかもしれない。
全身の血の気が引いてゆく。
しかし、ここはチャレンジしたかった。
岩盤をゆっくり下りると、足裏に力が入るので、足裏の皮がさらにはがれる。
痛みで踏ん張りきれないかもしれない。
バックパックのベルトをぎゅっと締めた。
そして勇気を出して走りはじめた。
恐怖で腰が引けると転ぶ確率が高まる。
ルートはくねくねして、先がなかなか見通せなかった。
ここは川の跡なのかもしれない。
コーナーでは足裏で岩のとんがりを感じ、痛みが走る。
痛みとともに熱さも覚えた。
スピードに注意しながら飛ぶように走った。
下りはこれまでのものより長く感じた。
勾配が急だっただけに高さもあったのだろう。
気持ちよく下っていると、とても気持ちよかった。
足と靴が仲良くなれた瞬間だ。

そしてようやく道がひらけた。
ついに下りも成し遂げたのだ。
信念さえあればなんでもできるのだ。
最高にうれしかった。

次は折り重なる砂丘だ。
岩盤で疲労した足裏を休めるには最適だった。
左右どちらにもこの砂丘が広がっていた。
気温もだいぶ暑く感じられた。
気を紛らわせようと、景色に見とれながら走った。

砂丘も終わりになるとき、前方にCP1が見えた。
まずはCP1だ。
12.5キロ地点だ。
着実にひとつずつクリアしていくぞ。
まだまだ元気だ。

星の王子様
山頂でつかのまの戦士の休息だ。
これから進む方向を見た。
すぐにくだりだ。
CP2が見えると思っていたのだが見えない。
目を凝らしても形跡すらない。
どこにCP2はあるのだろうか。
まだ先なのだろうか。
どこか影に隠れているのか。
どこまで行けばいいのかわからない。
不安が頭をよぎる。
ショックが浮き出ていた。

下りは急斜面の瓦礫と砂地。
砂地の割合のほうが多い。
ここは一気に駆け下りたい。
そんな無茶もたまにはいいだろう。
 一気に駆け下りた。

この先もまた砂地だ。
足に負担は少ない。
追い風が吹くと、体臭の酸っぱい臭いが鼻にツンとさす。
洗濯したくてたまらない。

ここまでのコースは非常に変化に富んでいる。
変化というのは非常に身体に刺激的で楽しい。
退屈という苦痛はない。
昨日のステージはかなり退屈だった。
チャレンジングなコースは楽しさを与えてくれる。
足裏の皮はさらにむけているようだ。
砂地はとても心地よい。
ここまま砂地が続くことを願うばかりだ。
歩き続ければCP2が出てくる、それだけを信じて進むのだ。

左に家が見えてきた。
人が3人立っている
3人とも頭に布を巻いていて、ベルベル人の格好だ。
二人の男性と一人の女性。
声援を送ってくれたので、足をとめて写真を撮ることにした。
3人とも若い。
とても気持ちが良い3人だった。
女性はスペイン語で答えたので、スペイン系の旅行者のようだ。
男性のひとりはハサン、女性アイシャと名乗った。
どうやってあの女性はここまで来たのだろうか。
現地の人の家に行く旅も楽しいよな。

山登りのあとは、少ししたらCP2だと頭が勝手に想像していた。
CP2がいつ見えるのか。
それだけが楽しみだった。
地平線まで砂地が広がっている。
このどこかにCP2があるに違いない。
目を凝らしてじっと見た。
どこにも見当たらない。

ロードマップを見れば5キロ残っていることがわかるが、身体の疲労がすでにCP2まで走ったと言っている。
そのギャップにストレスがたまる。
人間の距離感は感情で決まる。

再び砂丘地帯になった。
今日はこれでもかというくらい、ここぞというときに砂丘があらわれる。
砂に足をとられ、歩く速度も遅くなる。
砂丘の熱さが足で感じられた。

この砂丘を越えたらCP2が見えるだろう。
それだけが楽しみだった。
しかし、無情にもCP2は現れず、先に見えるのは砂丘だ。

サハラ砂漠には匂いも音もない。
そこにあるのは延々と広がる砂漠に、身体を包み込む焼けた空気だけだ。
バックパックの水がなくなった。
予備ボトルの水を節約しながら飲もう。

砂丘をのぼると、砂丘の稜線に出た。
稜線を走るルートだ。
下までは50mくらいの高さだろうか。
稜線の幅は1mはない。
風が強い。
足を踏み外したら、下まで転がり落ちるだろう。
ここから見る景色はまた壮大だ。
360度大砂丘地帯。
自然とシャッターを切る回数が増える。

砂丘はじっくり眺めていると、それが動いているように見える。
錯覚なのか。
風もあるので、本当に動いているのかもしれない。

砂漠は一朝一夕にできるものではない。
これは人間が作り出した光景なのか。
砂漠化は人間の活動が原因だといわれている。
しかし人工物ではない。
これは間違いなく自然だ。
自然が作り上げたものなのだ。
自然が砂漠として生きることを選んでいるのだ。
人間の活動をあざ笑うかのように。

大きな砂のくぼみが現れた。
もしかしたらあり地獄か。
ここは絶対に足を踏み外さないようにしよう。
緊張感で背筋が凍る。

砂丘はのぼりがあれば下りもある。
ふかふかな砂の下りは足を運ぶのに不都合で、疲労がたまった足に遠慮なくまとわりついてきた。
バランスを崩しては、冷や汗が出て、踏ん張る足に疲労を感じる。
そしてまた砂丘を登る。

山へ行くというのは、山と対話しに行くのである。
山と対話しながら、山のどこかにいる自分自身を探しに行く
そうであれば、俺は砂漠と対話しているのか。
この砂漠のどこかに自分自身がいるのだろうか。

現地の子ども二人がどこから来たのかマウンテンバイクで砂丘で遊んでいる。
靴は履いておらずはだしだ。
帽子もかぶっていない。
水筒なども持っていない。

こっちとは似つかぬ格好だ。
50度近い温度に違いない。
砂は熱くないのか。
砂をさわるためにかがむ気力もなかった。

子どもたちはすがすがしい顔で走り回っている。
まるで、熱さを感じていないようだ。

もしかして、星の王子さまか?
サンテグジュペリの「星の王子さま」では
砂漠の真っ只中に不時着した飛行士の前に、不思議な金髪の少年があらわれる設定だ。
飲み水も尽きて、不安に包まれた飛行士に、その少年は飲み水など気にせず、楽しそうに質問をしていくのだ。
この砂漠で飲み水が尽きたらと思っている俺は飛行士と同じ。
そしてマウンテンバイクで遊んでいる子どもたちは、星の王子さまなのかもしれない。

ふとこんなことが頭に浮かんできた。
「王子さま」はバラの世話を通じて、バラを愛するようになる。
おれはサハラマラソンを通じて、砂漠を愛するようになる。

人は農業を通じて、大地を愛するようになる。
そして、大地を世話するようになって、地球を愛するようになるんだ。

この砂漠化は地球温暖化など環境問題だと言われ、なんとかしようと運動が起きているが、問題の糸口として、土いじりが原点なのかもしれないな。

さて彼らに手を振り、先に進むことに。
予備ボトルの水のたいぶ飲んだ。
このまま水分がなくなったらどうなるのだろうか。
乾燥した大気に身体の水分を奪われる。
のどがからからになり、そして脱水症状。
血液がどろどろに黒く濃くなってしまう。
意識がもうろうとして倒れるのか。
強烈に恐怖を感じた。
あらためて砂漠の過酷さを自覚しようとしていた。

そう思いつつ、慎重に進んでいると、遂にCP2が現れた。
なんと長いCP2だったこと。
まだ通過点にすぎないCP2だが、まるでゴールを見たかのように身体の中が熱くなった。
涙が出てきた。
よかった。
水を補給することができる。
おれはまだ先に進むことができるのだ。
まだ生かしてもらっているのだ。

そしてCP2に到着。25.5キロ地点。
ここで戦士の休息だ。
お昼ごはんを身体に補給し、歩いてきた砂漠の道を回想していた。
この大会は本当にクレイジーだ。
こんなコースをよく設定したものだ。
そして、おれは本当によくがんばっている。
自分を精一杯誉めてあげた。

CP2からゴールまでは残り15キロ。
まだまだがまんの15キロ。
そう思うと、腰が重くて仕方がない。

ずっと休んでいることもできず、膝をつきながら立ち上がり、冷たくなった汗でびっしょりのバックパックを背負った。
ペットボトルをゴミ箱に捨て、CP3に向けて走り出した。
CP3までは10キロ弱だ。
この先も砂丘が続く。

砂丘が終わると平らな硬い地面に入った。
大パノラマが広がった。
真っ青な空と地平線だ。
この地平線の先にP3があるはずだ。
足が前後方向にむくんだのか、親指の爪が靴の上側の生地にひっかかって痛い。
ひっかかるときに爪がはがれそうになるのだろう。
爪の付け根が腫れあがっているかもしれない。
また小指も靴に当たっていたい。
走ると汗がどっと流れてくる。
水分の補給が多くなる。
気温は高い。
CP3まで水分が心配になるので、歩いて水分の減る量を抑えることにした。

硬い地面はまた長い。
足首にいやおうなくダメージを与える。
疲労がたまって硬くなった足首にはねんざの可能性が高まる。
足の感覚も失いつつあった。
気力だけは失くさないようにしなければ。
こんなところでは生きられない。

散在してはえている背丈を越える植物の間を走っていく。
頭がぼーっとしてきた。
集中力が切れてきた。
あとどれだけ走ればCP3なのか。
こんなときは補給食で気分転換だ。
補給食のカシスのドライフルーツを掌に取り出した。
熱で湿っぽくなっている。
一気に、口いっぱいに含んだ。
甘酸っぱい。
元気が呼びおこされた。
べとべとの手だけが取り残された。

この砂地のところどころにタマリスクが生息している。
それ以外にもかわいらしい花をつけた植物が点在している。
まさか雨が降ったのか。
砂地が湿った色をしているのだ。

ヘリコプタが地平線の右手前に着陸している姿が視界に入った。
ということはCP3が近いのか。
目を凝らしていると、
正面にCP3の旗が揺れているのが見えた。
34.3キロのCP3に到着したのだ。

CP3のゲート前でガッツポーズで
「イエス!」
 と叫んだ。
自分へのお祝いだ。
ついにここまで来たんだ。
そして自分から先にスタッフに声をかけて、ゲートをくぐった。

残り6キロ。
小さな砂丘地帯を抜け、廃墟が出てきたら間もなくゴールだ。

CP3を出て、走りはじめたがすぐに歩いてしまった。
砂地が続くし、心がへこんでいる。
走ろうと自分を振るい立たせ走りはじめるが、すぐに歩いてしまう。
左に夕陽が見える。
たいぶ傾いてきた。
夕陽が隠れる前にゴールできるだろうか。
暗闇に包まれたらここでは迷ってしまうかもしれない。
そんな不安もよぎって再び走り出すが、すぐに歩いてしまう。

でこぼこの小さな砂丘や林のような植物地帯。
夕焼けがそれらの影を長くしていた。
砂漠から見る夕陽はなんて大きいのだろう。
時間のたつのを忘れて夕陽を見つめながら歩いた。

そして夕陽が隠れた。
夕闇が追いかけてくるのがわかった。
コースはまっすぐでいいのか。
先行く選手たちは、植物に見え隠れしている。
足跡からまっすぐでよさそうさ。
このあたりは植物がかなり生えている。
かわいい黄色い花が群生している。
その花を踏んで生命を殺してしまうのは非常に心もとないが、足が言うことを利かない。
申し訳なく思いつつ進む。
ここは花や草の香りが広がっていて精神が安らぐ。
鎮静作用があるにちがいない。
過酷な砂漠にこういう景色があると思うと、砂漠の奥深さを感じた。
砂漠といっても絶望することはないのかもしれない。

ついに廃墟が右前方に出てきた。
その大きさがじょじょに大きくなってきた。
大会の車が前方からやってきた。
そしてこっちに一声かけて、そばを通り抜けた。
「セボ?」
大丈夫?というフランス語だ。
親指を立てて
「セボ!」
と答えた。
スタッフが来ると元気になるのだ。
遠くから望遠カメラで見たとしたら、すごく辛そうな顔をしているに違いない。

背の高い植物の合間からついにゴールが見えてきた。
ゴールが見えると、本当にうれしい。
帰る場所が確認できることって、本当に安心するんだな。
一人旅をするときも宿が決まるだけでどれだけ心が休まるか。
旅では宿が満杯で断られるときもあるが、ここではそれはないので安心だ。

前後の選手とはだいぶ離れたな。
陽が沈み、たそがれた空に包まれ、今日はひとりでゴールテープを切った。
ビバーグ4に到着だ。

今日は長かった。
時間もかかったな。
ほにゃ時間も動いていたんだな。
ペットボトル3本を受け取ると、もうふらふらだ。
前方から関さん、三宅さん、澤村さん、山崎さんが歩いてきた。
「おかえり~!」
「疲れた~!」
みんなとまた再会できて、最高にうれしくなった。
疲れたと言ってる自分が元気になってきた。
そしてみんなと握手を交わした。
みんな本当にすごいや。

今日のテントはどこなのだろうか。
120個もテントが設営されている。
一番奥に設営されてたら、クリニックにいくだけでも一仕事だ。
どうやら今日のテントは手前にあるらしい。
よかった。
さっそくテントを見つけると、疲れがどっとあらわれた。

バックパックを肩から降ろし、腰を下ろした。
安堵感からもう動きたくなかった。
でもようやく中日まできたんだ。
明日がまだある。
しかし身体にムチを打ってやることがある。
クリニックで治療、食事の用意、下着の洗濯、そして寝る準備。

シューズを脱ぐと、包帯に包まれた足が悲鳴をあげていた。
またクリニックに行かなきゃ。

薄暗くなってきた。
クリニックの場所がよくわからない。
足を引きずりながらクリニック探しだ。
男性スタッフが片言の日本語で声をかけてきた。
彼はフランス人で妻は日本人とのこと。
クリニックがわからないことを言うと、笑顔でクリニックまで案内してくれた。
それから彼とはビバーグで会うたびにあいさつをするようになった。
クリニックに行くと外で待っている選手はいなかった。
まずはうがい薬のような茶色い消毒液で足を洗う。
この消毒液ではしみないので安心だ。
しかし、汚れを落とすために指が足裏のマメの裂け目から見える赤い皮膚に触れる瞬間、身体全身に電気が走った。

洗浄が終わり、自分が呼ばれると紳士に見えるフランス人スタッフが私の肩に手をまわし、
「君には若くて最高の美人を用意した」
と耳元でささやいた。
フランス人はうまいことをいうなあと思い、その指の先を見ると、そのとおりのドクターが座っていた。
足は痛いのだが、治療してもらうことに最高の喜びを感じた。
思わずその顔に見とれていた。
足裏の靴擦れは進行していて、皮がかなりはがれていた。
両端に穴を開けて赤い液体を流し込み、ガーゼと包帯で終わった。
痛み止めの錠剤をもらった。
治療も丁寧だった。
昨日治療してくれたドクターとの笑顔をかわすことができた。
ここまで来たことに、昨日のドクターも喜んでくれた。
この体験により、クリニック行く楽しみができた。
これを励みに毎日走ることができる。
走ったあとのご褒美は必要なのだ。

治療が終わってテントに戻った。
するとスタッフがテントにやってきた。
大会側作成のDVDの収録があるとのこと。
大会側用テントでひとりずつカメラの前でこの大会で感じたことをスピーチすればよいそうだ。
自分の番が来た。
「この大会は本当にマラソン大会なのか。
本当にクレイジーだ。
 足裏はまめだらけでこんな足になってしまうのだ。
 本当に最高だ!」
こんなコメントをし、テントを出たあと、自己紹介することを忘れていた。
暗闇に包まれたころ、砂漠の真ん中に突然出現したテント村。
その中央で上映会がはじまった。
初日と二日目のレースの模様がダイジェストで流れた。
本当に懐かしい映像だ。
この砂丘を俺たちは駆け抜けてきたんだな。
本当に熱かったな。
本当に長かったな。
見ている選手たちの目が、懐かしそうに、そして優しそうに見えた。
よくここまで来たな。
映像に関さんと宮田さんが出てきたときは、自然と顔がほぐれた。
30分近い大会側のサプライズもこうして終わった。
砂漠の真ん中で、満天の星空のもとのテント生活。
おれは生きている。
そう実感した。

ステージ3:9時間36分56秒。トップから6時間23分54秒遅れ。
気温19.7度、湿度24%(午前8時時点)
気温48度、湿度11%(午後12時30分時点)。
リタイア18名。
サハラマラソンって長いんだな
4月1日(サハラマラソン:レース3日目:40.5km)
 朝になって、自分が汗ばんでいるのに気がつき目が覚めた。

 夜中に寒くて身体に包まったサバイバルシートが湿っていた。
 サバイバルシートはアルミホイルのようなものだ。
 蒸気を通さないため結露したのだ。

 寒さ対策は、サバイバルシートで解決した。
 寝始めるときに使ってしまうと、朝までに汗が冷えて風邪をひくので、夜の途中に目が覚めたら使うことにした。

昨晩は足の下にバックパックを引かないで寝た。
その影響か、足が妙にだるい。
昨日まではバックパックを引いていたので、足が高くなっていた。
その効果があったのだと認識した。
それにしても、今日は朝から足がだるい。

スタートから大音量のいつものハードロックが鳴り始めた。
今日もまたはじまるのだ。
サハラマラソンの恒例のスタート前の儀式だ。

音楽が流れると、反射的に頭の中が走るモードに切り替わる。
まるでパブロフの犬だな。
感情の起伏が激しいほど、条件反射は身体にしみやすいと聞く。

このステージはオール砂丘地帯。
距離が40.5キロと長いので、いつもよりスタート時間が30分はやい。
制限時間は12時間だ。
フルマラソンのステージと大差ないな。
今日のコースはCP1、CP2、CP3とそれぞれ13キロ、13キロ、10キロ。そしてゴールだ。
日が暮れる前には帰れるだろうな。

map3


スタート地点に向かう足取りが日がたつにつれて重くなっているのがわかった。
強まってきた日差しに背を暖められながら、ウインドブレーカーを脱いだ。

今日の誕生日の選手をお祝いし、いよいよスタートだ。
サハラマラソンスタッフMCの掛け声で、選手たちのテンションは一気にあがった。
さすが外国人、ノリがいい!興奮している!

オレは条件反射で興奮する気持ちとまだ目が覚めていない身体とのギャップでいまいち盛り上がらない。

先は長いし、少しずつ心と身体を一致させていこう。

そして、カウントダウンとともにサハラマラソン3日目がスタート!
痛み止めの効果か、足の痛みはない。
まずはくぼみと砂のわだちを走る。
そのうちに砂が深くなってきた。
砂丘の洗礼だ。
大会の車がスタックしている。
車から降りて、うしろから車を押している。
タイヤが空回りしている。

ときおり茂みに座って用を足すものもいるが、日陰など皆無で木陰で一休みなどと言っていられる状況ではない。

それを横目に先に進むと、目の前に砂丘があらわれた。
砂がやわらかいので、登りでは踏み込んだ砂がもろくも崩れ落ちてしまう。
思うように前に進めることができない。
太ももの筋肉が悲鳴を上げはじめる。
まったく足跡がないところか、人が歩いた凹み部分に足を運ぶと、砂が崩れないので力が逃げなくてよいことを学習していく。
登りきると、見渡す限りに砂丘が続いているのが見えた。
底の知れないサハラの広さに圧倒された。
洗濯板のような連続した砂丘。
高さ50mくらいの上り下りだ。
谷間に下りると、先が見えなくなり、壁のように砂丘がそこにある。
アスレチックのようだ。

登っては下りるの連続だ。
のぼりのときに筋肉に刺激を受けるのではじめは楽しくて気合が入る。
しかし調子に乗ると前半から体力が奪われていく。
汗のかき方が異常にはやく、水分を大量に飲んでいるのがわかる。
このままでは水分がもたないかもしれない。
気温もどんどん上昇してきている。

昨日は歩きによって靴擦れが起きた。
地面が砂地であることと、治療のおかげで足裏の痛みは感じない。
今日はジョギング程度でリズムを取りながら走っていこう。
このほうが足裏への靴擦れが少なく、傷みも感じない。
砂丘を走るぶんには、足裏への痛みが少ない。
走ったときの荷重を砂が吸収してくれるからだ。
ふくらはぎや太ももに張りが残っていて疲労を感じる。
天気は晴れ。風はやや後方より吹いている。

風に押してもらいながらCP1までゆっくり走っていこうと決めた。

砂丘の登りこれでもかというくらい目の前に現れる。
奥歯をきつくかみ締めて一歩一歩登っていく。
そんな辛い状況、うしろから聞いたことのある声がおれを呼んだ。
振り返ると、林さんが涼しげな顔で俺の落し物を拾ってくれて持ってきてくれた。
辛いときに仲間と出会うのは本当に助かる。
へこみそうな俺の心を助けてくれた。
しばし並走だ。

赤っぽい砂丘の遠くに横一線に黒いものを見つけた。
13キロ地点にあるCP1だ。
この砂丘が最後の洗濯板だ。
しかしCP1の先もまた砂丘が続いている。

CP1に着いた。
時間はもう12時だ。
だいぶ時間がかかった。
CP1で水を頭から浴びた。
しずくを顔面から払うとしょっぱい。

CP1を過ぎてしばらくすると、二人ずれのランナーが後ろから近づいてきた。
よく見ると、二人はロープでつながれている。
マラソン大会でよくみる盲目ランナーとサポートの組み合わせだ
もしかすると知人から聞いていた盲目のランナーか。
走るというよりも確実に歩いていた。
いても経ってもいられなくなり、足をとめて、彼らを待った。
そして二人に声をかけた。
先導の選手は欧米人だろうか。
身体が大きくてがっちりしている。
一方、盲目の選手は小柄だ。
彼は黒色のゴーグルを着けていた。
見えているかと思うほど、私のほうを見つめていた。
知人から話を聞いていたことをはなすと、彼はわたしのほうに顔を向けていた。
そして声をかけながら握手を求めると喜んで笑顔で応じてくれてた。
とても力強かった。

その後も彼らとは何度も会うことになる。

彼はゼッケン230番、Didier Benguigui(デイデイエ ベンギギ)といい、フランス人だ。
このマラソンは今回で4回目。
目の良く見えない・盲目の選手として参加している。
今回もまた前の年とおなじくAndre Baltazar(アンドレ バルタザー)選手に先導されてスタートをした。
Association Retina France(レテイナ フランス 会)の色で走っている。
この協会は、盲人、または目が良く見えない人たちの目の病気と闘う公共の団体である。
”視覚・視力の病気を克服しよう!”と書いてある小旗を持って参加している。
なお彼は541位でゴールした。

彼は段差のあるところで体勢を崩し、やはり目が見えていないということが分かった。
彼と会うとき、彼の足取りはいつもしっかりしていて励まされた。

彼が盲目であることを知る選手たちは、後ろからそっと彼の肩に手を当て、「ブラボー」と声をかけていた。

俺も砂丘の登りで彼の肩に手を当て、
「ブラボー」
と声を駆けた。
にっこり笑って
「メルシー
と答えてくれた。

陽が頭の上に来て、気温がだいぶ高くなった。
まわりの選手は歩いている。
しかし外国人の歩きのスピードはとてもはやい。
俺のジョギングと同じペースだ。
身体がだいぶ動いてきたのでジョギングペースで脚を動かし続ける。

 砂丘が終わったら、次は砂利地帯だ。
時間は12時30分をまわった。
右に絶壁の山々が連なっている。木はない。
左手には干上がった塩湖が見える。
この景色は壮大だ。
心も楽しんでいる。
アメリカのデスバレーのような景色だ。
汗の量は多い。水は1リットルくらい使ってしまった。
身体の調子はだいぶいい。

しばし小便をすることに。
風呂に入っていないので少し臭いがある。

次は絶壁の山登りだ。
この山は岩山であるせいか、近づくにつれ瓦礫が増えてきた。
足に緊張が走る。
次々に、瓦礫が親指の爪にヒットした。
あまりの痛みに声をはりあげた。
親指の爪の付け根が腫れあがっているのが想像できた。
必死の思いで歯を食いしばってすすむ。

注意深く足元を選んで進むと、どうやら次は山登りのようだ。
非常にごつごつした岩石の山。
山間のルートだ。
足をやさしく着地させながら一歩一歩進む。
両肩に力が入る。
汗の浮き出した頬を手で拭いた。

山の稜線に隠れて、なかなか山頂が見えてこない。
散在している岩の間の砂地を探して、ゆっくり着地してひたすら登る。
景色を見る余裕はなかった。

日本人テレビクルーだ。
彼らから声をかけてもらった。
彼らのおかげで毎回笑顔で声援を頂き、本当にありがたかった。
彼らがいなかったら、もっと辛いレースになったことだろう。
CPで彼らから笑顔で声をかけてもらうことが、とても励みになった。
そんな彼らから
「もうすぐ山頂ですよ」
と教えてもらった。
ゴールがもうすぐと言われると、不思議と足取りが軽くなった。
目標が間近になると、精神は強化されるのか。
それにしても、重いカメラ機材をもってこんな山道を登ってくるなんてさすが仕事人だ。

そして遂に200mの山頂だ。
たくさんの選手が腰を下ろし、自分たちの来た道を眺めている。
どんな気持ちなんだろうか。
きっと同じ気持ちに違いない。
「長かったな」
これに尽きる。

喜びを精一杯の歓喜の叫びであらわしてみたくなった。
自分への成功体験の刷り込み。
小さな成功の積み重ねが自分への自信をより強いものにしてくれる。
そんな証が欲しかったのかもしれない。
叫んでみると、とても気持ちがよかった。
全身にエネルギーが満ちてくるのがわかった。
自然がおれにエネルギーを分けてくれたのかもしれない。
サハラの寄付の村
サハラマラソン2日目のCP2を過ぎた。
目指すは10キロ先のCP3だ。
途中に寄付の村がある。

ここはみんながオレに預けてくれた文房具類やTシャツを子どもたちに寄付する村なのだ。
一体、どんな村なんだろう。
どんな子どもたちが受け取るのだろう。

サハラマラソン日本スタッフの松永さんとみさこさんは、どんな風に渡すのだろう。
その場にいられなくて残念だな。

map2b


出発すると、前方に直径10mほどの竜巻だ。
風がないせいか、かなりの時間、一ヶ所にいて動きが見えない。
注意しながら歩いていると、小さな砂丘を登っていき、タマリスクの木々を強烈に揺らして去っていった。
こっちにこなくてよかった。
竜巻はいたるところで発生しては去っていった。
この乾いた大地で気温が上昇しているためだ。
地球の大気が運動しているためなのだ。
この大気循環がないと、生物は生きていけないのだ。

広い荒野だ。日差しが強くて風がない。
足が痛くて、ふくらはぎに疲労がたまっているので、歩いて進むことにする。
まだまだ先が長いので体力温存だ。
でこぼこの地面が延々と続いた。
どれだけ歩けばいいのか。
また自分との対話が始まった。

疲れが足に表れ、そして足の裏の皮がずれることが感覚でわかった。
靴下を1枚にしたので、くつの先端部分は楽になったが前後方向へゆるくなってしまい、くつずれが起こりはじめたからだろう。
でこぼこ地面に足を運ぶと左足の足裏から大きな針で刺されるような痛みが走り始めた。
まだ先は長い。
次に乾燥して硬くなった地面が現れた。
さらに左足裏から激痛を感じる。
おれの足裏はどうなっているのか?
どうなっているから激痛が走るのか?
右足は大丈夫なのか?
両足裏がすべてはがれてリタイヤした選手が過去にいたな。
しかし一歩一歩足を運ぶのに精一杯で、痛み以外はなにも考えられなくなっていた。

 後ろ向きな気持ちになろうとするとき、きまって自分に問いかける言葉がある
「今、おれはなにを感謝しているか」
 そうすると、いろいろな答えが頭に浮かんでいる。
 家族のこと、仲間のこと、会社の同僚のこと。
 またサハラのすばらしい景色に出会えていることやスタッフのおかげで走れていること。
さらに元気でいられること、生きていられること、生まれてきたこと、生命がつながってきていること。
そんなことを考えるたびに、本当にありがたいと心から浮かんできて、まだまだがんばるという気持ちになり、元気が湧いてくるのだ。

 そうしていると遠くに緑が見えてきた。
だんだん緑が近づいてきた。
畑が出てきた。集落の気配だ。
 すると、土作りの家が出てきた。このあたりの家は土のブロックを重ねたようで、赤茶色の壁に平らな屋根。ガラス窓などなく、壁に四角く開いているだけだ
 あそこに人は住んでいるのだろうか。
 遠くに、さらに大きな土作りの家が出てきた。

 上り坂が現れ、二人の子どもが選手の両手を握って、上まで引っ張っていた。彼らの遊びなのか?
 自分もまた50mくらい彼らに手を引っ張ってもらった。
 笑顔でありがとうと伝えたら、はにかんでくれた。

 丘の上にくると、いろんな国旗があがっている建物が出てきた。日本の国旗もある。
 ここはCP3ではないのか?

 建物の前には大勢の村人が座っていて、こちらを見ている。

「アッサラームアレイクン」

と声をかけてみた。

「サラーム」

とみんなが笑顔で言ってくれた。


「うれしいな~」


とそのとき、紳士風の背の高いひとりの老人がオレに握手を求めてきた。

「なんだなんだ?」

しばしば足をとめてみた。
彼は、現地の言葉でとても丁寧になにか言っているようだ。

言葉の意味はわからないが、感謝を伝えようとしているようだった。

「おお!大会カメラクルーも撮影しているぞ!

 そうかあ!ここが井戸や文房具やTシャツを寄付するジェダイド村(Jdaid)なんだな。

 彼は村長さんだったのかなあ」

セレモニーがちょうど終わって外に出てきたところだったようだ。


「いいタイミングで通過できてよかった~!」


村を過ぎると山のふもとにCP3を見ることができた。
足取りが少し軽くなり、先を急ごうとすると、さらに早い集団がおれに追いついた。
大柄なオーストラリア人たちだった。
さすがに足が長いと、ペースがはやい。
ひとりの女性が、俺の日の丸の旗を見て

「寄せ書きがたくさん書いてあるこの旗が好き」

と言ってくれた。
わかってくれるんだな~。

「ありがとう!」

と返事をしたら、涙が出そうになった。

「みんな、ありがとう」

CP3に着くと、小さなテントがあってしばし一休みだ。
ここで澤村さんと再会。
ペットボトル1本をもらったが、残り5キロなので、背中に水を半分くらい入れ、先を急ぐことに。
CP3を出ると、300mの山登りが待っていた。
がれ場と砂地の混ざり合ったところで、道などはなかった。
ここまでくると、マラソンというよりトレッキングと呼んだ方がふさわしい気がする。

一歩一歩、大地を踏みしめるように登った。
この登りは大変だ。
そして峠を登りきった。
気合を入れるためにほえてみた。
峠のくだりは、砂地で気持ちがよかったが、疲労もあってペースがあがらない。
谷を下り、水のない川の割れ目とごつごつした地面が繰り返され、いやおうなく足にダメージを与えた。

山みちを走るトレイルランをあまりやっていないため、アスファルトのマラソンに慣れすぎて足をあまりあげて走らないフォームがあだとなり、石につまづくことが多く、足指のつめに激痛が走った。
このがれ場は、踏んでも痛いし、蹴飛ばしてもいたい。
 親指のつめを強打し、痛くなってきた。

 足を踏み出すごとに、どこへ着地したら足が痛くないか、瞬時に見極めなければならず、その判断に頭の中が忙しくなり、ちっとも気が抜けない。
しかしレースの後半では集中力は長くは続かない。
次第に頭がぼーっとして、意識が朦朧としてくる。
そうしたとき、石につまづいた。
「痛い!」
右の親指の指に激痛が走った。
そして前のめりになって倒れそうになるところ、左足を出して耐えた。
「痛い!」
今度は踏ん張った左足裏でとがった石を踏んでしまった。
はやくこの地帯を脱出したい。
ただそれしか考えられなくなっていた。

このごつごつした地面は地獄のようだった。
いつまで続くのか。
山間を進む最後のコースは、山肌に隠れてゴール地点がなかなか現れない。
集中力がかなり切れていた。

15時50分、平地の岩場のフラットは足がくじけそうになって、足裏がとても痛い。

しかし、足をとめなければいつかはゴールに着くもので、ようやくゴールが見えてきた。
とそのとき、後ろから知った声が。
アメリカ人のジェフだった。
「一緒に行きましょう」
と声をかけてくれたが、2、3歩走るだけで、追いつくことはできなかった。
 
先にゴールに着いたジェフのうれしそうな姿を眺めながら、最後に力を振り絞って、ようやくゴールにたどり着いた。ビバーグ3に到着だ。
しんどいステージだった。
夕方5時かあ。ほにゃ時間もかかるとはなあ。

リタイア6名

テントについてシューズを脱ぐと、予想通り足裏の皮がはがれていた。
理由は大きめのシューズに対してソックス2枚履きで対応したのだが、初日の後半からシューズがきついと感じたのでソックスを1枚脱いだのだが、これによって靴擦れが起きてしまったのだ。
診断を受けるために、クリニックに行った。
目の前に並んでいた外国人の足はかかとのところが靴擦れで剥がれていて、赤く見える皮膚は膿んでいるらしく、傷口が見えなくなるくらいの大量のハエがたかっていた。

 クリニックに行くと、大量の消毒液で足を洗うことができた。
足はビバークにあるクリニックで治療が可能だ。この大会は、ボランティアで40人のドクターが参加し、クリニックでは常時10人のドクターが嫌な顔ひとつせずにやさしく治療していた。なお、ここは野戦病院?と思うほど、レースが進むにつれ患者の数は増え、傷口にはハエがたかり悪化していくのだった。

 クリニックでは足の治療をやさしくしてくれる。国境なき医師団のようなボランティアスタッフだ。足のまめの端っこに穴を開け、そこから赤チンのような消毒剤を流し込み、ガーゼと包帯でおしまい。痛み止めの錠剤ももらった。
 星降る夜に、これまで主催者が撮影したレースの映像およびテレビ放送の映像に関する上映会。

 明け方近くになって、きんきんと音をたてそうなほどの寒気が寝袋の中の私の身体を締めつけ、目が覚めた。
 寒すぎる。
 気温8度までのこの寝袋が寒いということは、外はもっと気温が低いのか。
 このまま朝を迎えるのでは、風邪をひいてしまう。
 寒さを防ぐものを寝ぼけた頭で必死に考えた。
そうだ。サバイバルシートが使えるかも。
 サバイバルシートは必須携帯品のひとつだ。
ただのぺらぺらのアルミシートのようだが保温力があるのた。

寝袋から腕を出すと、寒気が寝袋に入ってきた。
急いでバックパックからサバイバルシートを取り出した。
 サバイバルシートは握りこぶしくらいに折りたたまれているので、広げるのが大変だった。
 身体にそれを巻きつけ、寝袋に入った。
 体温を保持するサバイバルシートで、徐々に身体があたたかくなったきた。
サハラマラソンはちっとも楽じゃない
3月31日(サハラマラソン:レース2日目:38km)
朝起きると顔は砂だらけだった。
夜に吹いた砂まじりの風が、顔に当たっていたからだ。

サハラマラソンのフランス人スタッフがテントに来た。
慣れない英語で、今日のスタート時間は9時だと告げていった。
朝8時で気温20.8度、湿度31%だ。

今日は昨日より7キロ長い38キロ。
フルマラソンより短いのでアスファルトなら5時間くらいのペースでと思うのだが、昨日の30キロで7時間弱の時間がかかっているのだ。
今日は8時間はかかるな。
制限時間は10時間。
時間を気にしなくてもよいな。

今日は南西の方角へ小さい砂漠群を越えてCP1まで12.1キロ。西に進路を変えて塩湖平原を越えてCP2まで24キロ。南西に進路を変えて、井戸や文房具を寄付する村に入ってCP3まで33.5キロ。山を越えてゴールまで38キロだ。干上がった川、草木地帯、塩湖平原
砂丘よりは楽だとタカを括っていたが、すぐにそんな考えは甘いと悟る。

map2a


前日からくつ先端部の上下方向が窮屈になっていたので靴下を1枚にした。
今回で23回目のサハラマラソンなので、朝8時集合でスタート前に、選手で23の数字の一文字を作り、上空からヘリコプターが記念撮影だ。

天気は雲ひとつない晴れ。
スタートして干上がった川を左に見ながら砂利地帯を進む。
まばらな砂丘地帯に入ったところで、山崎さんの背中を確認できた。彼もゆっくり走っていたので、一緒にCP1を目指すことにした。
砂丘地帯も終わり砂利になり、干上がった川を越えると、でこぼこの地形になった。
さらにゆっくり走り続けると、干上がった川を渡り、草木地帯だ。

陽が高くなるにつれて気温が上昇している。
風がほとんどない。
気持ち悪い汗が大量に流れてきた。
はやくも疲れが現れているのだろうか?
干上がった川底に散乱するごつごつとした固い石が、足底をダイレクトに襲い、草木地帯に生い茂る草々はどれも棘だらけで、油断すると足に切り傷を刻んでゆく。
ふと気がつくと、昨日のステージで見かけたような外国人選手が目に付いた。同じペースのメンバーが固定されてきているようだ。
 バックパックに日の丸を付けているおかげで、外国人から
「ジャパン!」とか「こんにちは!」
など声をかけてもらい、そのたびに挨拶を交わし元気をもらった。
またカメラを向け、一緒に撮影してくれる選手もいた。
オレは笑顔を振りまくだけで、自分のカメラを用意することはなかった。

バックパックの水がなくなった。
予備ボトルに切り替えた。
遠くにCP1が見えてきた。
ラクダの親子が草を食んでいるのを見つけた。
CP1までは土漠で背丈を越える植物もあちこちに見えて走りやすかった。
CP1では三宅さんが出発して行く姿を見送りつつ、山崎さん、澤村さん、林さんと会えた。仲間と会えると元気がよみがえってくる。

CP1で水1.5リットルをもらい、休みながら水をバックパックに入れて出発した。
CP2までの間に干上がった塩湖があるので、これが目標だ。
土漠なので走ることはできるのだが、身体が重いからか、集中力が切れていたのか、走ることができなかった。
植物が茂っている地域だったが、そんな景色にも飽き飽きしていた。
 そんな後ろ姿を見かねているのか、歩きが早い外国人が声をかけては、追い抜いていく。
自己紹介して、どこに住んでいるかなど、たわいもない会話をし、写真を撮っては別れていった。

小さな丘に囲まれた谷を抜け、干上がった川を越える。
川の跡がいくつもあるが、一体いつの川なのだろうか?
雨季には川になるのだろうか?
地平線に向かってひたすら歩く。
気持ち悪い汗ができている。
熱い。
地元の子どもたちが手を振って笑顔を振りまいてくれる。
「サラーム」
とあいさつし返した。
言葉はわからないが、こういうやりとりはちょっと元気回復になる。

時間は昼どきだ。CP1とCP2の間くらいだろうか。
12時の気温は36.8度。湿度18%と発表されたが、体感ではもっとあるように感じられた。
風もほとんどない。
熱い。
パワーバーとジェルが飽きを防いでくれるが食べてしまった。

遂に塩湖平原だ。白っぽくてでかい。
アルジェリアやチュニジアに見られる塩湖は 海水とは関係なく 砂の下が 岩盤のため 雨水が1箇所に溜まり そこへ周り砂の成分が流れ込み これが乾燥して蒸発して その土中の塩分が 噴き出して結晶となったものである。 結晶ができるまでには 4-5千年かかる。 塩湖のことは 一般 にショット、水がなくなり 塩が浮いた平原のことをセブハと呼ぶ。 アトラス山脈の降雨量が比較的多いため サハラ北部には ショットが多く 南へ下がるほどセブハが多くなる。

遠くには30頭くらいの動物がいた。ヤギか?
遊牧するにしても、人影が見えない。
ほんとうにでかい。
遠くにCP2は見えない。。。
本当に塩なのか?
なめても土の味しかしなかった。
ただ地面を見れば、それがひび割れ、所々が細かく捲れ上がっていて、水が干上がったのがわかる。
周りに見える山は本当は何色なのか?
しかしこれはサングラス越しの色だ。
ゴーグルをはずしてみた。
まぶしすぎる。
周りに見える山は赤茶色だ。

ゴーグルがまるでダイビングをしているかのような錯覚を起こし、暑さを感じなくさせているのかもしれない。
ゴーグルをはずすと、目でも温度を感じるのだろうか。
熱いことがすぐにわかる。

照り返しが凄かった。塩によって白く染まった大地は乾ききっていて、所々が細かく捲れ上がっていた。私が歩を進めると煎餅のようにぱりぱりと小気味よく割れていき、砕けた破片が次々と私の足裏を刺激した。

とそのとき、動物の骨が無残に残されていた。
体力が尽きて死んでしまったのだろうか。
砂漠での過酷さを垣間見た。

少し歩くと、今度はかわいらしい黄色い花を付けた植物が出てきた。
足を進めるほど、その数は増えてきた。
ここに雨が降ったに違いない。

深さ3メートル近い干上がった大きな川の裂け目を手を使いながら登り、さらに砂漠地帯を抜けた。

ついにCP2が見えてきた。ラクダの牧草とタマリスクの木々を歩いている。
このでこ道の山あり谷ありの勅物が生い茂っているところは、足裏ダメージがきていて、両足の小指に痛い。
CP2だと思ったら車だった。

しばらく歩くとCP2が見えてきた。思ったより砂丘は足がもつれて走れませんが、歩いて向かうことにする。
 
タマリスクは、砂漠にあるギョリュウ科の落葉小高木(ブッシュ)の総称で、広大な砂漠にも限りがあると告げている植物。水のあるところや人が住んでいるところ(オアシス)が近いという事を告げている植物だ。
砂漠に横断している者やそこで生活をするものにとって、その命に希望の火を灯してくれるのかも。

ラクダの歓迎されながら、ようやくCP2まで来た。ここまで24キロ。時間は午後1時だ。
ここで、ペットボトル2本をもらい、朝に用意した玄米ご飯100gを食べ、エネルギー補給だ。林さんと澤村さんとも会えた。ふたりとも疲れは見えるが余力は十分だ。
サハラマラソンの1日目が終わっていく
サハラマラソン一日目のゴール地点のビバーグ2で、ペットボトル3本をもらい、テントに戻った。
さて、今日のテントはどこだろうか?

テントの番号はいつも同じなのだが、配置が毎日変わるのだ。
3本のペットボトルを両腕で抱え込みながらうろうろしていると、今日の我が家のテントを発見!

先に帰っていた三宅さん、関さん、澤村さん、間さんと握手。

みんな疲れているはずなのに、なぜか会話が弾む。
7日間の初日だから、まだまだ力を温存していることには違いないが、それ以上に、待ち望んでいた砂漠を走ったことと、ゴールしたことで疲れが吹き飛んでいるのだ。

荷物を降ろして、上着を脱ぐと、手首から先が赤く日焼けをしていた。
ここでの日焼けは軽いやけどになりそうだってので、できるだけ肌が露出しないようなウェアを選んだ。肌が露出しているのは手の甲だった。
顔と一緒に手の甲にも日焼け止めを塗ったが、だめだったようだ。
日陰もないし、こんなに陽射しが強いのだから当然だろうな。

この大会ではビバーグでいろんなサービスが提供されている。
メール配信や国際電話、けがなどの治療のだめのクリニック。
メール配信のサービスでは、メールを一通までは無料で送ることができる。
さっそくメールができるテントに行くと、俺たちが寝ているテントとは違って、四方囲まれ、風が吹いても潰れないように頑丈そうにできていた。
その入り口から10人くらいの人が列になって並んでいた。
彼らの格好は、上半身裸にサンダルの姿ばかり。
ここは休息するための場所なので、楽な格好をしていた。
みんな充実したいい顔をしていた。
テントの中には10台のパソコンが置いてあった。
パソコンの前に座ると、事前の説明どおり、日本語フォントはなかった。
アルファベットで今日のレースを振り返りながら、その模様を書いた。
そして、応援してくれるたくさんの仲間にメールを送るために、メーリングリストのアドレスを宛先に入力し、送信ボタンを押すとエラーが出た。
日本で何度も記入ミスがないようにチェックしたメールアドレスだったので、どうやら宛先を認識しないようだ。
仕方がなく、メーリングリストを管理している仲間にメールを送った。
このメールが迷惑メールとして処理されるとは知らずに。。。


靴下と下着を水で洗って干した。洗い方は、ビニール袋に衣類を入れ、貴重な水を流し込む。じゃぶじゃぶと袋の外からもむ。洗剤は水を大量に使うのではじめから用意しなかった。
はじめのひともみで、水が一気に濁った。
サハラの砂がどんどん出てくるのだ。
それだけ粒が細かいのだ。

洗い終えると、予備の安全ピンでテントの生地に取り付ける。
これなら風が吹いても飛ぶことはない。
空気が乾燥しているので、すぐに乾くに違いない。

そして夕食の準備だ。
早く帰ってきた関さん、三宅さん、林さんが薪集めをして火をおこしていた。
薪と言っても、それにふさわしい枯れ木となると、そう簡単には見つからないはずだ。
疲れた身体で遠くまで行って拾ってきたそうだ。

その薪をありがたくもらってライターで火をつけた。
さすがに乾燥しているだけあって、すぐに火がついた。
さっそくコッヘルに水を入れて火にかざしてお湯をわかすことに。

サハラ砂漠をはじめて教えてくれたピーター・セージ氏は生煮えのパスタを食べて下痢になり、レースでは大変苦しんだと言っていた。
その教訓があたまからはなれずにいたので、お湯がしっかり沸くまで待つのだ。

そして、おなかが減っていようとも食事がちゃんとできあがるまで待つのだ。
これも健康管理だ。

初日の夜ご飯は、メニューどおり五目御飯200gとカルビ丼だ。
五目御飯のパックに、フリーズドライのカルビ丼を入れ、お湯を注いだ。
そして10分間の辛抱だ。

10分が経過し、さっそくパックを開けてみた。
湧きたてのお湯を入れただけあって、中までほかほかだ。
お湯はお米が吸っていて、みごとに完成していた!

持参したスプーンでさっそく一口頬ばることに。
お米がなんとおいしいことか。
身体が食事を欲していることがわかった。
濃い目のカルビ丼がこれまたとてもおいしかった。
生きている実感を得ることができた。
身体のすみずみまで、生き返る感じだ。
これが今日の体力回復になり、また明日のエネルギーになるのだ。
しかし、普段のレース後の食糧としては物足りない。
いつもは自分へのご褒美もあって、焼肉などをたらふく食べていた。
食糧を制限して食べる。これがサバイバルレースなのだ。

逆に、間さんは今日のレースでバックパックの重さが相当身体こたえたようで、軽量化するために食糧を見直していた。
食糧はカロリー制限があるのだが、カロリーに余裕を持っていれば減らすことは可能だった。彼は最終日までの日数を考え、余分になりそうなものを捨て始めた。

夕陽が落ちる景色がものすごくきれいで、生きているということのすばらしさを感じた。

あたりが暗くなっても、戻ってこない仲間がいた。村上さんと飯田さんだ。

「ゴールまで迎えにいかない?」

仲間に誘ってみるや、先にゴールした仲間6人でゴール地点まで行くことになった。
やぱりみんなが仲間の帰りが心配なのだ。

ゴール地点にいくと、まだ姿はなかった。
戻ってくることを待つことにした。

しかし姿がなかなか見えないので、ゴールから先に歩くことにした。
あたりは薄暗くなってきた。

なかなか姿が出てこない。
大丈夫かな?

陽が沈んでいった。
そうしていると、遠くから人影が現れた。
暗いのでシルエットしか見えない。

そのシルエットが近づいてきた。

「おお!あれは、のりちゃんとくみちゃんだ!」

ついに元気な姿で二人が現れた。

「お疲れ~!」

「暗くて道に迷いそうになっちゃったわよ~」

と元気な声で語っていた。
ゴールを確信したその声は非常に元気。

そして、みんな一緒にゴール。


彼女たちのゴールには感動させられた。
涙を浮かべたものもいた。
どうして感動するのだろう。
同じ景色を見て、同じ辛さを味わい、同じ灼熱の大地を走ってきた仲間の喜びが自分のことと重なるからなのだろうか。
仲間が同じ道をゴールし、喜ぶ姿には感動を覚えるんだな。

日本人参加者10人は初日から全員が元気にゴールでき、その喜びを分かち合うことができた。
この瞬間を味わうために走っているのかもしれないな。

同じ距離を同じ条件で走るのはみんな同じだ。
先にゴールすれば早く休めるが、それだけ肉体を酷使する。
また順位を求め疲労は蓄積されていく。
あとにゴールすれば、長時間サハラの強い日差しと格闘しなければならず、体力は少しずつ奪われていく。
とちらにしても過酷だ。

大会初日から大砂丘地帯の洗礼を浴びたな
サハラ砂漠の砂は海岸の砂とは異なり、粉のようにほんとうにさらさらだった。
こんな砂の上は走れない!と思っていたら、トップ選手は軽快に走っていたみたいだ。
この大砂丘は言葉に言い表せないほど壮大なスケールで、五感で感じながら駆け抜けたランナーにしか、このすばらしさはわからない。
こんな景色に出会うことができて本当に感謝だ。

思い思いに寝る準備をし、荷物を端っこに追いやり、シュラフを広げて眠りについた。

 夜に砂まじりの強風で、テントの端のつっかえ棒が倒れ、端っこで寝ていた間さんが寝れなくなり、眠い目をこすりながら修復した。


 明け方になると急激に冷え込んでくる。今回は気温が6度まで下がった。8度までのシュラフだったのでさすがに寒くて目が覚め、サバイバルシートに包まってシュラフに入ったら快適だった。

 チェックポイントごとにもらう水はほとんどタンクに入れ、飲み水用にしたので、脱水症状になることはなかった。
 今回の日本人10人はひとりも脱水症状にならず、点滴も打たなかった。


これがサハラなんだ
サハラマラソンのチェックポイントでは、ドクターが選手の目を見るために、サングラスをはずすように要求する。
これは脱水症状の確認のひとつに目が落ちくぼんでいるかを見るという方法からだ。
オレの目も落ちくぼんでいたのか、塩タブレットを取るように注意された。


途中は塩タブレットをとらなかったしな。


いつでも取り出せるようにウエストバックに入れていた塩タブレットを6錠を口に入れ、水を口に入れた。


これは噛むのか??それとも飲み込むのか?


わけもわからず、噛んでみた。


タブレットの表層が破け、中から噛むとぼろぼろくずれる固形物が顔をあらわした。


しょっぱいような苦いような。


けしておいしい味ではないので、一気に飲み込んだ。
口には後味の悪いしょっぱさが残ったので、水をまた飲んだ。

この苦さで気合が入った感じだ。

さてCP1を出発するか~!!

ゴーグルをかけなおすと、スポンジが汗でびしょびしょで濡れいた。
このスポンジは砂嵐などが目に入らないようにふさいでいるものだ。


この感触はめちゃくちゃ気持ち悪い。
でも少しすれば慣れるに違いない!


出発すると、背丈を越える青々とした植物が乾いた大地に点在していた。

こんなところにも植物があるのか。

少しであっても植物の合間を抜けて走るのは気持ちがよい。
植物がエネルギーをわけてくれているかのようだ。
短い距離だが、軽やかに走りぬけることができた。


それを越えると2番目の砂丘に通じる岩石の多い平地だ。岩石が割れたような破片がごろごろ転がっていて、岩石の黒と砂の黄色の土砂漠だ。
熱のせいだろうか。その黒い破片はまるで溶け出しているかのように、てかてか光っている。
これはたぶん、火山が造り出したものではないか。
溶岩が固まって岩石ができ、数世紀にわたる風化によって崩された山々の岩石が、大量の流水によって散乱して礫の平原を造ったのではないだろうか。 

太陽をさえぎるものはなにひとつない。
空の青さが尋常ではない。上空に不純物が舞っていない証拠だ。
陽射しの強さも手を貸して、深みのある蒼に視線が奪われる。
地平線の向こうまで選手の列が続いている。走る選手や歩く選手、ひとり黙々と進む選手や、仲間をおしゃべりしながら進む選手。追い抜くときに、声や笑顔を振舞う選手など。

この平地はとても長い。
シーンと静まり返っている砂漠の中で聞こえるのは、風の音と自分の足音だけだ。
時間は昼時。
気温がどんどん上昇し高くなった。12時で気温36.8度、湿度18%。
風がまったくなくなると、非常に熱い。身体が苦しい。汗の流れかたが異常になり、頭に弱い痛みすら覚えた。

「根性だけでは完走できないんだな」
身体との対話を頻繁にするようになり、そう思い始めた。
身体が無理といったら、照明弾を打ってリタイヤを選択しなければ、死の危険だったあるのだ。
そのあたりの木陰で休んでゆっくりしようなんて考えられないのだ。
このサハラ砂漠はそういう環境なのだ。
サハラマラソンの過酷さに恐怖すら覚えた。

この平地は風が息をたくさんしている。
風が吹くと、湿度が低いため熱さは感じず、涼しい。
風は強いときもあり、粉のような砂が舞い上がって風の通り道がよくわかった。
遠くできた竜巻が近づいてきて、100mくらい前を通過した。
ここは灼熱地獄だ。
干上がった川を越えた。
水なしには生きていけない。
どのくらい進めばCP2が出てくるのだろうか。
疲労からか走ることができない。
外国人選手の歩きは早い。一歩の距離を稼ごうとして歩幅を広く取ろうとすると、膝やももに負担がかかる。短い足をフル回転させないと追いつけない。
しかしレースはまだ初日。無理することはない。
選手みながそう思っていた。
熱さに耐えながら、頭をもたげ足元をひたすら見続ける時間が過ぎていく。
CP2に着くことだけが唯一の目標だ。

10kの平地は足をとめなければいずれは終わるものだ。
大きなわだちを横切り、遂にCP2が小さな丘の間に現れた。
やった。遂にCP2まで来た。24キロ地点だった。
ここで1.5リットルの水を補給だ。
バックパックを開けてみると、水はほとんどなくなっていた。
ここでも塩タブレットを噛み砕いた。しょっぱくて苦かった。
CP2を過ぎると残り7キロ。
CP2でだいぶゆっくりしたので、俺の前後で選手との距離は100mはあるだろうか。この位置では選手はまばらだ。
この状態で夜を迎えたら怖い。
遠くに砂丘地帯が見えている。
砂の平地を過ぎれば最後の2キロ砂丘地帯だ。
空にはサーマルによる雲がぽつぽつできている。
風が5mくらい吹いている。
 風が冷たく感じられるので、涼しくて気持ちよい。 
この平地では岩石がいくらか大きく、干上がった川を越えると、土っぽい地帯にはいった。
とげとげした草が目に付いた。ラクダの牧草地だ。
砂漠では葉っぱのような大きさになると、水分が蒸発するため、とがった葉っぱなのだ。
とげだらけの植物でも春になると色とりどりの花をつけて、別世界のような景色になる。今が春だ。
その合間に、砂と同化したトカゲを発見した。
砂漠で見たはじめての生物だ。
「こんなところにも生物がいるんなんて」
そのあともトカゲは数匹を見ることができた。

砂丘の手前に車がみえる。大会の車か?
CPはもうないはずだ。まさかゴールってことはないだろう。
脱水症状で倒れた選手がいるのか。
小さい砂丘が見え始めた。
あいかわらずまだ熱いな。

車まで来たがやっぱりゴールではなかった。
彼らに
「おーけー!」
とうつむき加減の頭を上げて力を振り絞って笑顔で叫んだ。
言霊とはよくいうな。「OK!」ということで、元気になるから不思議だ。

砂丘の上に選手が見える。
ついに最後の砂丘だ。
最後と思うと、おなかが少しすいているのに気が着いた。
身体のセンサが再び息を吹き返してきたのだ。

この砂丘はスタート直後の砂丘と異なり、手を使わないと登れないくらいの高さ数十メートルの急な砂丘の上り下りの連続だ。
下りはまるでジェットコースターのような絶壁を駆け下りた。
急斜面の砂丘には、無数の波紋がありきれいだ。
風により、その波紋が動いているのが分かった。
また砂を崩すと、砂時計の砂のようにさらさらと紋様が広がっていった。
砂の粒が細かいから起きる現象だ。

また砂丘の稜線を境に、風がのぼるには波紋が広がり、くだる側ではでこぼこひとつなくきれいに整地されていて、芸術的だ。
風が強いので、砂が飛んでいく様子がきれいだ。
そして、今つけたばかりの足跡が風に洗われるようにしてみるみる消えてなくなっていく。
砂漠に自分が来た証なんて残せやしないんだな。
ダイナミックな自然を前にすると、ちっぽけな自分の存在を思い知らされる。

上りは足の力が抜けていくのを歯がゆく感じつつも砂を崩しながら登る。
下りも当然、急斜面だ。転んだら下まで止まることはないだろう。
スキーでショートターンをしながらふかふかの深雪の圧を感じるように、砂の急斜面をふかふか感じながら下った。このとき足首まで砂に埋まり、気持ちがよかった。

ここまで来ると、選手はちりちりばらばらになり、足跡がゴールまで導いてくれる。もしここで暗くなったら道に迷ってしまうと思うと、気が狂ってしまいそうで背筋がぞっとする。

そうして砂丘ののぼりくだりを繰り返し、砂丘の頂にたつと、砂丘が終わるその先の低地に黒いテント群が見えた。今日のゴールだ。ビバーク2だ。
並んだ外国人選手が
「almost finish!」
と言って声をかけてくれたので、
「Yes!」
と親指を立てて笑顔で返事をした。

たくさんの選手がそこで足をとめ、ゴールを眺めていた。
とても感慨深く、心の底からうれしさがみなぎってきた。
もう少しでこのステージが終わるのだ。

とゴールが見えてから、なかなかゴールに着かない。
時間は16時を過ぎて陽が傾いてきた。
おなかがかなりすいてきた。
顔がじりじりし、目もちかちかしている。
強い日差しで日焼けしたのがわかる。

砂丘を下りながら、見知らぬ選手どうしで声をかけあった。
ゴール手前の砂丘の上で、よく知っている日本人が現地の子どもと遊んでいるではないか。
彼の走力なら余裕だよな。

「なにやってんだ?少年?」
いたずらっぽく声を張り上げで聞いてみた。
「子どもたちが勝手に集まってきちゃったんですよお」
走ってきたとは思えない元気な姿だ。
彼に声をかけたおかげで、元気をもらえた。最後のひとふんばりだ。

すると目の前にジェフの姿が。
ワルザザードでバスに乗り込むときに声をかけてきたアメリカ人のジェフだ。
「おお!ジェフ~!」
「こんにちは!一緒にゴールまで走りましょう」
彼の足取りはしっかりしていたが、顔はかなり疲れた表情だ。
彼の腕をとり、両手をあげて最後の50mを走った。

「これをやるためにここに来たんだ」

そして、ゴールテープを切った。

お互いに喜び、握手し健闘をたたえあった。うれしかった。

今日のステージをゴールできたこともうれしいし、他の選手と一緒にゴールできたこともうれしいのだ。

記録は6時間38分。トップから4時間遅れだ。

初日なので体力温存で走ったので疲労感はほとんどないが、距離の割には時間がかかったな。

これが砂漠のペースなのだな。

リタイア5名

テーマ:マラソン - ジャンル:スポーツ

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