サハラマラソン245キロへ挑戦(2008年3月28から4月7日完走!)
サハラ砂漠を7日間で245キロを走り、しかも7日分の食料と背袋はすべて背負いそれで生活をおこなうサバイバルレースである世界一過酷なサハラマラソンの挑戦記です。その後2009年チリ・アタカマ砂漠マラソン(7日間250キロ)、2010年中国・ゴビ砂漠マラソン(7日間250キロ)を完走し、2010年11月の南極マラソン250キロを完走しました!

サハラマラソンへご支援いただき、誠にありがとうございました!
文房具、Tシャツも多数頂き、サハラの村の子どもたちに渡すことができました☆

2009年世界で最も乾燥したチリ・アタカマ砂漠マラソン250キロ完走。
2010年に中国・ゴビ砂漠マラソン250キロ完走。
2010年に極寒の南極マラソン250キロを完走しました。
この経験からどんなに長い距離でも走れるテクニックを
教本「驚異のマラソン上達法」(ここをクリック)にまとめました。


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サハラとの出会い
 日本の国土が10個近く入ってしまう世界最大の砂漠「サハラ」。

 サラサラの砂にきれいな風紋が描かれ、砂丘群が連なっている、といったイメージが強いが、実際は砂ばかりの砂漠というのは多くない。
 むしろ岩漠や土漠ばかりで、その由来となったサーラ(荒れ果てた土地を意味するアラビア語)という言葉そのものだ。したがって、サハラは「サハラデザート」とは言わない。

 サハラの70%は礫砂漠で、残りが砂砂漠と山岳岩石砂漠。
 サハラ南縁部は、毎年約6万平方キロメートルのスピードで面積が増えている。

 冬から春へと季節が変わる3月から4月にかけて、砂漠の温度がどんどん上昇する。その温度差による砂嵐が内陸部では吹き荒れる。

 砂漠地方では、黒いベールで頭をすっぽり包んだ女性や男性を見ることがある。このベールは薄い紗でできている。
 空気が大変乾燥しているせいで、鼻腔内にトラブルが起こる。ベールは息の湿度を保ち、空気調整してくれる働きをする。またベールを着けると魂を守るともいわれる。


 学生時代から旅が好きで、社会人になってからも有給休暇を取ってはバックパックを担いで世界を旅するのが趣味だった。

そんな俺が走ることになったのはいまから8年前。
大学の友人にテニスを誘われ、テニスコートにいくと彼の先輩がも来ていて、第一声で

「河口湖マラソン、走らない?」

と誘ってきた。
42・195キロのマラソンなんてブラウン管の中の世界と思っていたが、ここで思わず

「はい。」

と言ってしまった。

元来、運動をするのは好きだったが、なぜマラソンなのか。
マラソンっておじさんのスポーツなのでは??

返事してしまったし、せっかくだからやってみるか。
でも、フルマラソンってどうやるの?

さっそく本屋に行き、マラソンの本を読み漁った。
そして誘ってくれた彼と彼の仲間と練習をしたりして、4時間2分で完走できた。

それ以来、フルマラソンに20回以上。
さらに、100キロを超えるウルトラマラソンや、トライアスロンなど、
過酷なレースに、次々と挑んできた。

このようにマラソン大会には毎年参加するようになり、走ることが生活の一部になっていた。
そんな生活であったが、仕事や会社に対して不安も高まっていた。
だれもが通る年齢に来たのかもしれない。
次第にビジネススキルやコミュニケーションスキルを磨こうと、いろんなセミナーに足を運ぶようになった。

そして2008年5月。
出会いはやってきた。
セミナーで一緒になったゆたちんから「サハラマラソンに一緒にでない?」
と誘われた。

彼は俺が100キロを走っていることを知っていた。
しかし彼はウルトラマラソンすら経験していなかった。
その決断に目を疑ったが、彼は本気だった。
オレは「いいね!」と言ったきりだった。

その後、彼との連絡は途切れていたが、8月になって再会し、再度「サハラマラソンに出ない?」
と誘われた。
彼はサハラマラソンに出場した人に話を伺いに行ったり、パンフレットや申込書の入手方法まで調べていた。
ここでオレはパンフレットや申込書を入手してもらうように彼にお願いした。

その後、彼とは9月下旬に200キロのウルトラマラソンに出場した。
一晩中走り続けるこの大会で、はじめて寝ないで朝まで走る経験をした。
雨が降り続き、レインコートを羽織って走ったが、寒くて身体が震えた。
また夜中は眠くて車道に出て行き、車にひかれそうになった。

ウルトラマラソンで夜中に走っているときに、車道によろめいて車に引かれて亡くなった友人がいるという人に、この話を聞かせてもらったばかりだったので、恐怖を覚えた。

そしてこの大会は164キロでリタイヤした。
このころから長い距離を走るのに飽き飽きしだしていた。

そんなとき、パンフレットが手元に届いた。主催者はフランスだった。
パンフレットを見るまでは、サハラマラソンの知識なと皆無だった。
写真を見ると、本当に砂漠の真ん中を走っているではないか。
世界一過酷なマラソンに参加している人たちの写真には辛くて苦しそうなものが多いと思っていたが、みんな楽しそうだった。いい顔をしていた。

彼らは変態か?
ここにはどんな世界があるのか?
怖いもの見たさが出てきた。

そして申し込みの時期が来た。記入言語はすべて英語だ。
ゆたちんと連絡を取り、申し込み書の書き方などを教えてもらい申し込みを先にした。
パンフレットの写真のところに行くなんて、想像もつかなかった。

申し込み締め切り時期になって、ゆたちんに連絡をすると、
なんと彼は申し込みをしておらず、聞けば今回は参加しないとのこと。
彼にとっても悩んだ末の決断に違いなかったが、オレは呆然とした。
お金を振り込んでいるが、キャンセルもできる。

迷った。。。。。。

オレがサハラマラソンに申し込んだことは、知る人ぞ知るニュースになっていた。
次第にまわりが盛り上がってきた。引くにひけなくなっていた。

1月にサハラマラソンの説明会が東京の事務所であった。
どきどきしながらひとりで参加すると日本からの参加者は10名と聞かされた。

そこでサハラマラソンのDVDが上映され、パンフレット以上にすごい世界があった。
サハラ砂漠という過酷な状況はひしひしと伝わってくるのだが、映像の中の参加者は楽しそうだった。

最後に、説明会に来ていた参加者の自己紹介を提案させてもらった。
ひとりひとりの話を聞いてみると、みんな百戦錬磨のランナーぞろいで、100キロマラソンで10時間を切っていたり、フルマラソンを100回以上走っていたりと、今までに見たこともない人たちがそこにはいた。

その中に、71歳という女性がいた。飯田さんだ。
彼女は会ったこのときから非常にバイタリティーにあふれ、目がきらきら輝いていた。
年齢を聞かなければ71歳には見えず、またたとえ71歳であってもおばあちゃんではなかった。
彼女はスポーツインストラクターの村上さんにジムで誘われて一緒に参加を決めたそうだ。
彼女とはそんな出会いだった。

またテレビスタッフが2名いた。聞けば、タレントの間寛平さんも参加するので、そのドキュメンタリー番組を撮るとのこと。面白いメンバーが集まったものだ。

最後に、2年連続参加された井上さんという方が紹介され、町田にあるスポーツショップで働いていることを知らされた。


説明会の翌日、アポイントも取らずに、そのショップに行ってみると、線が細い店員さんが井上さんだった。
彼は仕事中だったが、興奮することもなくまた煽り立てることもなく言葉を選びながらサハラマラソンについて語ってくれた。

彼もまたその魅力にはまった一人だった。
彼はその後、東京から鹿児島まで走りながら、施設の子どもたちを訪問し、たくさんの子どもたちに夢や希望を与え、サハラ砂漠の砂を配り歩いていた。

どうしてサハラマラソンはこんなに人を惹き付けるのだろうか。
ますますサハラマラソンに興味が沸いてきた。
そして井上さんからシューズやウェアなどのアドバイスをいただくことができた。
その後、ショップに足を運んでみたものの、彼と再会することはできなかった。
しかし、頂いたアドバイスは脳裏に焼きついて離れることはなく、装備品やウェアなどはこのときのアドバイスがなければめちゃくちゃになっていただろう。

荷物を背負っての通勤ランを平日にし、週末は山に行ってトレイルランニングをしたり、江ノ島まで行って砂の上を走る練習を繰り返した。

サハラマラソンに参加することとは話題性があるらしく、新聞社から取材されたり、栃木県知事に表敬訪問もした。

そんな出発一ヶ月を切ったとき、仕事の相談で大学の恩師に電話したところ、思わぬ告白を受けた。

「もう、死ぬかもしれない。。。。」

恩師には大学時代、実に9年間もお世話になった。
ゼミ生が先生宅にお呼ばれする卒業記念のパーティーでは、泥酔してしまい記憶がなくなったしまった。そんな俺を介抱し、着替えをして頂き、そして泊めていただいたのだ。

仕事中にもかかわらず、電話口で

「死なないでください!」

と叫んでしまった。
涙が出そうになった。

恩師が手術を受けるのは、サハラ出発前だ。
そんな恩師に俺ができることは、勇気を与えることしかない。

そう思って、手術前に病院へ行き、面会に伺った。
病状は大動脈瘤。難しい手術だということだ。
仕事のことやプライベートのこと、昔の話などが懐かしかった。
仕事の話をしたときには、人の紹介までしてくれた。

こんなときにも、俺の心配をしてくれるなんて。。。。

ありがたかった。
最後に、手術の成功を祈って握手をした。
握手には今までの力強さは感じられなかったが、遺言は言わないといった恩師の言葉に、必ず手術から生還するという想いを感じた。

「元気になれたよ。ありがとう」

とてもありがたい言葉だった。


恩師が生死をかけて挑戦するんだから、俺もサハラマラソンをしっかりと挑戦してこよう。

サハラマラソンに挑戦することに、理由がひとつ追加された。

読売新聞相模


出発まで残りわずかだが、練習への気合が変わった。

いつもロッキーのテーマが流れている感じだ。


たくさんの仲間から応援メッセージや寄せ書きが届いていた。

新聞に掲載されたこともあり、知らない方たちからも応援メッセージを頂いた。

うれしかった。
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砂丘の洗礼
スタート地点は柵で丸く囲まれていた。
その先端にはスタートゲートだ。

遂にサハラマラソンのスタート地点に立つことができたんだ。
そう思うと涙があふれそうになった。
スタート地点に立つことが目標と言った人もいた。

この場所を夢見ていたが、交通事故に会ってしまい断念した人もいた。
たくさんの人に支えてもらいながらここに立っていることに感謝だ。

柵がオープンする前に、日本人全員で記念写真を撮った。
みんな笑顔で浮かれていた。
そりゃそうだ。待ちに待ったサハラマラソンがいよいよはじまるのだから。
この仲間と一緒に最後のフィニッシュラインを切って、最高の喜びをともに分かち合いたい。
そう心から思った。

ふと隣を見ると、両親と奥さんらしく家族が応援にきている選手がいた。
地元モロッコの選手だろうか。
バックパックには家族の写真の旗をつけていて、特に子どもがかわいらしく写っている。
お父さんなんだろう。
その子どもも応援に来ていて、抱っこしながらスタートにいられることに感謝しているようだ。
とても微笑ましい。

start_tyokuzen


そして大会スタッフにチェックを受けて柵の中に入った。
いよいよスタート地点に昨日の健康チェックをクリアした801名の選手が集合したのだ。
みな思い思いの格好で、半そでの人もいれば長袖の人もいる。
短パンの人もいれば、長いスパッツの人もいる。
肌が露出している人は、日焼け止めが塗りこまれているのか白くなっている。
みなが同じなのはバックパックを背負っていることと、サングラスだ。
しかしバックパックだけの人もいれば、ウエストバックとバックパックでバランスをとり、
左右のショルダーストラップに水ボトルをつけている人も多くいる。
砂対策のスパッツも大会側が販売している足元から足首までのものや、
ひざまでの長いものをつけている人もいる。
手にはストックを持つ人もかなりいる。

スタート前には、大会側のマイクパフォーマンスだ。
マイクを持った男性と女性が車の屋根に上り、男性がフランス語であいさつ。
次に女性が英語で通訳だ。

はじめに選手の番号と名前が呼ばれた。

「一体、なんだ?」

次の瞬間バースディ音楽が流れてきて、選手みんなで歌を歌った。

「なるほどね。
 誕生日のお祝いは会場を盛り上げるのに最適なのかもしれないな。」

抜けるような青空の中をヘリが舞い、各国のメディア達がスタート地点に押し寄せる。
セレモニーが始まり、高揚感を誘う大音響の音楽が辺りを覆いつくした。
コースや制限時間の説明をしているようだが、興奮冷めやらぬ雰囲気もあるし、
スピーカー自身が興奮していて、内容がよくわからなかった。

そしてついにフランス語でカウントダウンがはじまった。

「トロワ ドゥ アン」(3 2 1)

「スタート!」

選手たちが雄たけびをあげ、245キロのサハラマラソンのスタートが切られたのだ。
今日はどんなコースが待っているだろうか。
7日間はどんなレースになるのだろうか。
みなが軽快に、興奮して走り始めた。
誰もが笑顔だ。

ヘリコプターが横向きで低空を我々に向かって近づいてきた。
ヘリコプターのばたばた音が近づくにつれてどんどん大きくなり、さらに興奮させる。

ドアが開いていて、カメラマンがカメラをこっちに向けて乗っているのが見える。
手を振って元気なポーズを送った。


まずは一歩一歩。
その感触を確かめるようにゆっくり走り出してみた。

「ついに砂漠を走ることになったんだな」

先には、白っぽい砂でできた大砂丘が見える。
それがあざやかな青空と対比されて浮き出て見え、まるで絵画のようだ。

start_tyokugo


スタート時の荷物は12キロに水2リットル。
バックパックの構造上、腰で重さを受ける作りになっているので、肩への負担はほとんどない。また背中との隙間も少ないので、バックパックが背中と一体になっていた。
レースがはじまった興奮も手伝って、身体に負担を強いるような重さには感じなかった。

「湘南海岸で走った練習どおりの感覚だ。
 結構、いけるかもしれない」

はじめはそう思えた。

スタート直後の土漠と思っていたその地面は、先行くランナーによっていたるところで砂が荒れていた。
そんな地面を走ると、地面を蹴ったときに砂が崩れて足をとられるのだ。
土漠は表面が硬そうに見えるが、その下層は砂地なのだ。
湘南海岸で練習したことを思い出した。
アスファルトと同じように走ったのでは、地面が崩れて力が逃げてしまうのだ。
足を地面に置くようにぺたぺた走ることにした。


1キロの平地を走ると、遂に砂丘地帯に突入した。
これから13キロのシェビ大砂丘越えだ。

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砂丘地帯は砂がこまかくて、とてもとても走れる状態ではない。

「海岸の砂とはわけが違うな」

風強くと、細かい砂が素肌に当たってちくちくくすぐったかった。
砂は新雪のようにふわふわしている。
足元がへこむさまに目をやったり、自分の足音に耳を澄ましたりした。
ひたすら歩き続けているうちに、いつの間にか楽しい気分になった。

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サハラの砂は粉のように細かいので、走るときには地面を蹴らずに足をそっと運ぶ技術がいる。ストックを使っている選手もかなりいた。
選手は思い思いのペースで走るので、アリが巣に向かうかのように一列になって進んでいく。この中にいれば道に迷うことはない。
砂丘の山は急斜面であり、立ち往生したり、よつんばになってのぼる場所さえあった。

 そして小高い砂丘のてっぺんから見る眺めでは、ずっとずっと砂丘の景色が続いていて、地平線のかなたまで砂丘と選手の列だ。
 砂丘の向こうは、海と見間違うかのような光景だ。
 興奮しながら一休み。
知らないものどおしが声をかけあっての記念撮影がはじまった。
青空の中にある太陽がとても大きく見え、砂漠のコントラストが強烈だ。
この延々と続く大砂丘群は、今まで見たことがない壮大な景色だ。

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青い空に映えた大砂丘は、ものすごくすばらしい景色だ。
砂丘での歩き方にだいぶ慣れてきた。
砂丘のコースは登ったり下ったりの連続だ。
下りは調子に乗って駆け下りる。
転んでも痛くなさそうなので、気持ちよく風に乗れて最高だ。

ただ先の景色は丘の上に上るまでわからない。
いつまでもチェックポイント1(CP1)が見えなくて不安になる。
永遠にこの砂丘を歩き続けるのではないだろうか。
聞こえるのは自分の呼吸だけだ。
汗の量も増えてきた。
登りでは前を行く選手のうしろをただひたすら歩き続けるのみだ。

sakyu_walk



 もう砂丘の後半に来ただろうか。
 足取りが重くなった。
 まわりの選手の顔からも笑顔が消えていて、もくもくと歩いているのがわかる。
 砂丘の景色は壮大だが、みんな飽き飽きしていた。
 いい加減に早く終わって欲しいと思っているに違いない。
 俺もそうだった。
 小高い丘に登るたびに、CP1を探し求めるが見えない。
 しかしあせても仕方がない
 13キロの大砂丘を歩くのは忍耐と平常心が必要であることを諭された。

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飽き飽きしだしたときには、集中力が切れかかっているので、行動食として、ソイジョイと黒糖をひとつまみ口にいれ、疲労回復だ。
こまめに背中のスポーツドリンクを飲んでいたせいか、遂にそれがなくなった。CP1までの距離があとどのくらいわからない。
不安がよぎった。
水分不足で死にそうになりながらゴールした人の手記が脳裏をよぎる。
おなかに付けたボトルをこぼさないように、大事に飲んでいくことにした。

さらにシューズをきつく感じるようになった。
足と対話してみる。
「足指が曲がらないな。砂が入ったのか?それともむくみか?」
足は元気だが、窮屈さはなくなりそうもなかった。

足もとしか目に入らない時間が続き、砂丘も小さい山が増えてきたことになって、ふと視線を上げると、遂に砂丘の向こうにCP1が見えた。14キロ地点だ。

stage1_CP1


ようやくシェビ大砂丘を抜けるのだ。
ようやく砂丘を抜ける思うと、身体が軽くなった。
ずっと歩いた砂丘群。ロードブックによるとこの先は平地のはずだ。
CP1のゲートに到着した。
「やった!」
心が小躍りした。
元気はまだまだある。
まだまだ前半だ。
7日間の力を温存しながらなのだ。

きれいなフランス人女性スタッフと笑顔であいさつ。

チェックポイントなので、記録を読み取る装置に、電子クリップを近づけて
「ピッ♪」
と反応したらおっけー!

そして、スタッフが
「サングラスをとってください」

なぜ?

そして

「塩タブレットを6錠、飲みなさい」

塩タブレットを取るように注意された。
もしかして、脱水症状気味なのか?

スタッフはボランティアで参加しているドクターでもあり、目を見て脱水症状がないかの体調チェックをしてくれているのだ。
脱水症状の確認として、目が落ちくぼんでいるかを見ているのだ。

このチェックポイントで水3リットルを受けとり、カードにパンチしてもらってチェック完了。

stage1_CP1_gate


車にタープを張っただけの日陰にはすでに選手で満員だ。
シューズがきつく、足指が曲がらないと感じながら後半は歩いてきた。
地面に座り込み、そこでゲートルをはずしてシューズを脱いだ。
砂はまったく入っていなかった。途中、シューズを脱いで砂を出している選手もいた。
ゲートルとゴアテックスのシューズは最高の組み合わせだ。
 とすると、足がむくんだせいで、シューズがきついのだ。
 大きめのサイズの靴で、トレランで使う中厚ソックスを2枚ばきしたが、中盤から足の指がむくみはじめ、くつ先端部が上下方向に窮屈になった。

靴下2枚履きを1枚脱ぐことにした。1枚になったことで靴紐がゆるんだので、しっかり締めた。

 2本分のペットボトルの水をバックパックの水タンクに入れ、入らない量の水で顔を洗った。
顔から噴出した塩分でしょっぱかった。
 さらに、塩タブレットを4個噛み砕いた。しょっぱくて苦かった。1.5リットルの水に対し、塩タブレット6個飲むように大会側から言われているのが、あまり考えていなかった。
塩を補給すると、水分の吸収が高まるため、脱水症状を防ぐことができるのだ。



 CP1ではスタート前に水を入れておいたアルファ米100gを食べた。バックパック上部に入れておいたため、中身はあたたかくなっていた。
 非常においしいお昼ご飯だ。
 サハラマラソンのお昼ご飯は自分で用意したこれなのだ。

 エイドステーションなどないのだ。
 何を食べるかは、はじめからわかっているので、楽しみは少ないが、食べなれたものを口にした瞬間、一気に体中の感覚がよみがえってくる。
 全身にエネルギーがみなぎってくる。

 このお昼がゴールまでのガソリンだ!

 そんなお昼をこれから毎日、食べるんだなあ。



脱水症状とは:

 大量の汗をかくと体の水分が不足する。血液中の水分が少なくなると、血液が濃縮し心臓の負担が大きくなるのだ。また、血液が粘稠になって末梢の毛細血管を血液が流れにくくなり、組織に酸素が十分に行き渡らなくなる

 さらに、全身の細胞の中の水分も失われるようになると、各細胞の働きが十分でなくなり、各臓器(内臓、筋肉、神経など)の働きが低下する。
 これらが深刻になると、代謝が正常に行われなくなり、からだが酸性に傾いたり、筋肉や血球などの組織が破壊されるのだ。
 こうして体の機能が著しく低下すると生命の危険がある。

 また、汗の中にはナトリウムなどの電解質も含まれる。
 このため、大量の汗をかくと電解質のバランスも崩れ、力が入らなくなったり、筋肉のけいれんが起こったりする。脱水により尿量が極端に少なくなると、腎臓で濾過されるべき老廃物質が血液中に残り、腎不全の状態になる。重度の場合では意識レベルの低下や昏睡を来す。

 脱水によって血管内の水分が極端に少なくなると、血圧が下がってショック状態となる。

 ショック状態になると、意識を失って倒れ、顔が蒼白になり、冷や汗をかいて皮膚は冷たくなります。軽度の場合には、冷や汗をかいて気分が悪くなり、動悸がしたり吐き気がしたりします。点滴で水分を補給することで回復しますが、重度の場合には後遺症を残す可能性もあります。

ついにスタート☆
3月30日(サハラマラソン:レース1日目 29.3km)
朝6時前に目が覚めた。
サハラマラソン、スタート当日の朝が来た。

あと数時間後には待望のサハラマラソンがスタートするのだ。
この日をどれだけ心待ちにしてきただろうか。
どんなドラマがこれからはじまるのだろうか。

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それにしても砂漠の朝はさすがに寒い。
息が白い。
寝袋から出るのがおっくうになる。
アンダーウェアの上下とウィンドブレーカーを着たまま、朝食の準備。
この朝から食糧自給生活なのだ。
すでにレースがはじまっているのだ。

どこからともなく、青いウェアを着たベルベル人スタッフがテントの撤収にきた。
肌が黒っぽくて鼻が高い。
背が高いものもいた。
彼らは、選手たちに有無を言わせることなく、テントの撤去作業をはじめた。
たとえ選手たちの荷物が片付いていなくてもベルベル人達はあくまでもマイペースだ。

遠くのテントが撤収されているのが見えた。 
テントがなくなった光景は実に無残。
運動会のあと、学校の校庭の真ん中に広げた敷物が自分のだけ取り残されたような、情けない光景に見えた。

その数分後に、われらのテントにも来た。
しかしわれらのテントは片付けがまだまだ時間がかかりそう。
そこで、片付け終わりそうなほかのテントを指差したら追い払うことに成功した。

さて、初日の朝にはお祝いの赤飯とさんまの缶詰と決めていた。
1日2000kcalの規定に従うためには、毎朝2人分の200gを食べる必要があった。
朝はしっかり食べておく参戦だ。
缶詰は初日朝に捨てれば重さは関係ないのだ。

前日の寝る前に、赤飯に水を入れておいたのでご飯は冷たいながらもできあがっていた。
これが今日のオレの燃料だ。
さんまの缶詰のタレを赤飯にかけ、一気に食べた。
朝8時の気温は20.8度だ。
今日のスタートは9時と大会ボランティアスタッフが言いに来た。

レースで重要なのはなんといってもレース中の水分だ。
ウォーターバックには、飲みなれたスポーツドリンクの粉を入れ、水を2リットル注ぎ込んだ。
これで命の水が完成した
おなかに1リットル用ボトルを予備用として塩水にした。

またベルベル人がやってきた。
まわりのテントは片付けられている。
今度は追い払うことはできなそうだ。
荷物の乗った敷物を外に引きずり出され、あっという間に無残な姿に。
もともと砂漠の真ん中なので、ここにテントがあることは不自然なのだな。

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ウィンドブレーカーとアンダーウェアーを脱ぎ、レース用の半そでウェアとスパッツに着替え、アームウォーマーをつけた。
これは日焼け対策もあるし、腕に加圧しているので、マッサージ効果で腕や肩が疲れにくくなるために使用した。
マラソンは後半になると、腕や肩がだるくなるのだ。

靴下は2枚履きだ。
大きめのシューズに足を入れ、丹念にひもを締めた。
そのとき、砂侵入防止用のゲートルを先に足を通すことを忘れてしまった。
他の仲間も同じようにやっていた。
ひもを緩めてシューズから足を出し、ゲートルに足を通してひもを結んだ。
そして、ゲートルのマジックテープをシューズのところに合わせて準備万端。
この作業に手を抜くと、レース中に砂が入ってくるだけでなく、靴擦れをおこして足裏にマメを作ることになるのだ。

さらに忘れちゃいけないのは、日焼け止めだ。
陽射しがめちゃくちゃ強く、そしてさえぎるものがない灼熱の大地。
全身やけど状態となって、ドクターからリタイヤを宣告されてはたまらない。
以前、そんな人もいたらしい。
唯一皮膚が出ている顔に日焼け止めを塗りこんだ。

スタート地点からハードロックサウンドがガンガン流れてきた。
AC/ADのYou shock me all night longだ。
この高揚感あふれるリズムで、心臓の鼓動が大きくなり気分が猛烈に高まってきた。

三宅さんとロードマップを見ながら、本日のスケジュールの読み合わせをした。
南東に進み、サハラ砂漠の見どころ「シェビ大砂丘」を越えてCP1まで14キロ。南下してCP2まで24キロ。そのまま南下してズナイグイ砂丘を越えてゴールまで31.6キロだ。

さて、スタート地点に移動するぞ!

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